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大東亜戦争ニュース/ 2015 2014 2013
大東亜戦争ニュース・2015/ 12 11 10
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大東亜戦争・戦線時系列
大東亜戦争の定義
大東亜戦争は、大日本帝国が、植民地主義を掲げるアメリカ合衆国・大英帝国・オランダ・オーストラリアの欧米列強の手先に成り下がった中華民国との間に発生した戦争の呼称である。
1941年(昭和16年)12月12日 東条内閣はシナ事変を含めて 「大東亜戦争」 と閣議決定した。
 
アメリカは戦後、GHQの日本占領政策実施に当たり、アメリカに都合の悪い戦争犯罪を隠す目的で、大東亜戦争を太平洋戦争と呼称を変えさせ、日本に嘘を強要した。
大日本帝国は、大英帝国、オランダ、中華民国、アメリカ戦を含む広域の大戦争が大東亜戦争である。
アメリカ人が日本人を恐れた理由
人類の理想が日本人である。
日本人は、生まれながらにして、国の為、家族の為、自己犠牲の精神(神風特攻隊)が宿っている。
大陸の白人やシナ人、朝鮮人と違い残虐性が無く、人種差別もせず、情け、慈悲、恥の心を兼ね備えた心の気高さを恐れているのである。
日本は戦後70年、今、転換期が来た。
GHQの日本愚民化計画が成功し、多くの反日性悪日本人がいるが、彼等も己の本質に気付く時が来ると信じている。
2013・4・3 ユーチューブ   日本人は全員拝聴して欲しい 
終戦の詔勅・天皇陛下玉音放送・1945・8・15
「コメント」
WEB記述をもとに、現代語風の字幕を付けましたが、合っているかは不明です、お許しください。
大日本帝国は、地球世界の当時、一等国である欧米列強(ロシアを含む)の白人国家と一国だけの力で唯一戦った誇り高き民族である。
大日本帝国軍はインドの独立軍とインドネシアで共に戦った戦歴がある。
大東亜戦争は、大日本帝国がアメリカだけに負けが、靖国神社に眠る英霊が命を賭し戦った成果が実を結び、アジア諸国の独立と多くの人々を奴隷から解放し救ったのである。
人類と大日本帝国にとって決して避けては通れなかったのが大東亜戦争である。
2015・8・14 ユーチューブ 是非ご覧あれ
青山繁晴×百田尚樹が語る『終戦の日と日本人』前編
青山繁晴×百田尚樹が語る『終戦の日と日本人』後編
 「コメント」
【虎ノ門ニュース・スペシャル】
 
ハワイの歴史館は大東亜戦争の真珠湾攻撃を史実を忠実に展示しており、日本人の歴史観とは全く違う。
大東亜戦争の事実を知れ! 目覚めよ日本人! 
2010・2・26 ユーチューブ 
本人は心優しき侍/世界から感謝される日本【独立アジアの光】
「コメント」
アジア独立国から感謝されている日本。一度戦争に負けただけで日本人の誇りを失ってはならない。
我々は奴隷になったわけではない。
「独立アジアの光」より編集しました。以前、この動画を作った時に、数万アクセスありましたが、消されました。
そこで、もう一度作り直しました。
 大東亜戦争の真の姿である。
日本は、大日本帝国が大東亜戦争に敗れたが、先人の苦労の上に今がある事を決して忘れてはならない
2015・1・7  ユーチューブ 
米軍も【感動】した日本軍の【奇跡】の戦闘!日本人のプライドと魂を結集した圧倒的強さ!中韓が日本を永遠に恐れる理由はコレだ!
「コメント」
かつて、これ程までに感動する外国との戦闘があったでしょうか? もちろんこれは「戦争」を賛美するために作った動画ではありません。
 
ソ連侵攻を阻んだ大日本帝国軍の底地力があったからこそ、北海道は今日本にある。
2014・6・17 ユーチューブ 
『凛として愛』全編ノーカット版 拡散希望!全日本人が知るべき真実!
「コメント」
国難の危機にある現代の日本人必須の映画、今ひとりでも多くの方に、この学校教育やメディアでは教わらなかった『日本の真実の近代史』を、この映画を通じ、知って目覚めて欲しいと心から願っております。
 明治開国から大東亜戦争まで日本が戦って来た『真実の歴史』を約70分でまとめてあります。
 学校で教わってきた日本を悪とする近代史とは明らかに違う内容が記録されています。
 なぜそのように間違ったことを教えられてマインドコントロール漬けになった現代の日本があるのかを知る切欠になる貴重な映画です。
◆明治27年の朝鮮半島をめぐる清国との戦い
◆ロシア、フランス、ドイツの三国干渉
◆朝鮮半島、満州をめぐり大国ロシアとの戦い
◆満州事変、支那事変、ABCD包囲網
日本が戦いを免れなかった真実、
資料に基づいて制作された映画、真実の歴史を知る事ができます。
2015・2・6 ユーチューブ 需要必見動画
マッカーサーの告白 『大東亜戦争は日本の自衛戦争だった』 MAXSCOPE JOURNAL
「コメント」
戦後70年、大東亜戦争(太平洋戦争)はハルノートを突きつけられた日本が自衛のために立ち上がった戦争であり、自虐史観を持たなければならないのは米国である。
マッカー­サーは東京裁判を悔やみ、日本国憲法で日本を骨抜きにし、左翼分子を日本に植え付け、自虐史観を持つように仕向けた米国の罪を告白した。
生々しい彼自身の証言を朗読。
かつては日本を恨んでいたダクラス・マッカーサーが天皇制と天皇の生命を守ろうとした背景。
マッカーサー以上に日本を評価する立場として説得力がある人物はなかなか存在しない中、彼の貴重な演説を再現する。
 
マッカーサー語録を確認する必要があるが、多分事実だろう。
2015・7・21 ユーチューブ 大注目 
【水間政憲】済南・通州事件から考える平和安全法制[桜H27/7/21]
「コメント」
現在、国会の内外で激論が交わされている「平和安全法制」であるが、反対派に共通するのは日本侵略史観であり、その結果としてのハンディキャップ国家論であろう。
しかし彼らの歴史観を紐解いていくと、中共のプロパガンダそのままの知的怠慢に閉じこもっており、済南事件や通州事件等での虐殺被害については誠に都合良く排除されている。
今回は、中共へのカウンタープロパガンダを展開している水間政憲氏をお迎えし、虐殺事件を忘れていることの危険性と、日中双方の国民性に基づく相性の悪さについて解説していただくと共に、戦後初となる虐殺犠牲者の慰霊祭について告知していただきます。
 
シナ人の猟奇的虐殺事件である。
2013・4・16 ユーチューブ 
外国人カメラマンが見た戦前の日本
「コメント」
ナシ
 
外国人カーンが撮影した100年前の日本
2014・11・23 ユーチューブ 
【日本大好き!】必見!!戦前の東京を映したカラー映像が凄い!「日本は昔から先進国だったんだ」~海外の反応~
「コメント」
1935年(昭和10)ごろの日本を映したカラー映像から。
動画には戦前の銀座、丸の内周辺、浅草などの都市の様子がカラーで収められています。
 
この動画の中、アーストラリア人の投稿に、大日本帝国が残忍とある。
日本は大日本帝国時代の史実を世界に発信する必要性を実感したのだが、世界の人々は今尚、東京国際軍事裁判判決を史実として捉えているのに愕然とした。
2015・5 IRONNA 
日本は侵略国家か
「記事内容抜粋」
「朝鮮を植民地化した」と気やすく表記しますが、本当でしょうか。正しくは合邦で、日本本国と同等としたのですが…。
  立林昭彦の視点  常識で過去を断罪するな  安倍首相「未来志向」の演説  言ってはいけない
  奪うものはあったのか  歴史を幅広く見る目の大切さ  関連記事
  日本による朝鮮統治は「侵略」だったと思いますか?
 ※2015・5・9現在 侵略だった 57  侵略では無かった 800  分からない 17 
日本は近隣諸国との間に歴史問題が存在するのだが、これらは全て反日日本人が齎したものである。
現在表面化しているものだけでは無い。
シナ大陸の清国、中華民国、中華人民共和国を一括りにして中国と言っている。
日本人は賢い様だが、賢かったのは終戦迄、戦後の日本人は、アメリカの武力と洗脳により、信念を持たず、優柔不断、正義感を持たず、嘘を多用し自己民を騙す守銭奴と化した様に思えてならない。
大東亜戦争開戦の切欠・伸び切った戦線・結末と成果
開戦の切欠 1
1937年7月盧溝橋事件に端を発した北支事変(後にシナ事変と呼称変更)、北支周辺地域へと戦火拡大、8月の第二次上海事変以後、中支へ飛び火しシナ全土へと飛散し、大日本帝国と中華民国の戦争の様相を呈していった。
 大日本帝国は、アジア解放、人種差別撤廃、大東亜共栄圏構築を目指し、欧米列強と大東亜戦争を戦ったのだが、敗戦の原因は歴史の流れが中にある。
そこで満州事変まで遡り下記の通り検証した。
2013・9・2 ユーチューブ    重要 注目 
【普通の歴史】3-1 一等国の時代・・・第一次世界大戦
【普通の歴史】3-2 一等国の時代・・・満州国建国の背景
【普通の歴史】3-3 一等国の時代・・・満州帝国の評価
【普通の歴史】3-4 一等国の時代・・・上海事変から日中戦争
コメント」
日露戦争が終わって朝鮮を併合した1910年までの日本は特に歴史的解釈に迷うところはない。
ヨーロッパの植民地にならないように懸命だった。
日本が朝鮮を併合したのが1910年で、明治維新が1868年だから約40年。
その後の日本の動きを見ても、おおよそ40年ぐらい経つと、最初の目的を達したり、第二段階に入ったりするようだ。
1910年から40年後の1950年には日本は敗戦し、軍事国家から普通の国家に戻った。
それから40年後には経済成長が終わり、バブルが崩壊している。
おそらく2030年にはまた新しい日本の時代が始まるだろう。
明治維新から日本は大きく分けると次のようになっている。
明治維新から独立まで   40年 (1910年まで)
先進国のまねをした時代  40年 (1950年まで)
高度成長の時代     40年 (1990年まで)
環境ボケの時代     40年 (2030年まで)
日露戦争がおわったころの日本は、少しの不満を抱えながらそれでも順調な日々を過ごしていたが、遠くセルビアでオーストリアの皇太子が暗殺されたことで戦争が始まる。
つまりは第一次世界大戦である。
遠いヨーロッパで起こった事件だから日本も知らない顔をしていればそれもできたけれど、「力をつけた日本」だから、「参戦する」ということになり、イギリス側についてドイツを攻めた。
後に、日本の松岡外相がヒットラーにあって同盟を結んだことから、何となく日本とドイツは親しい関係にあったと錯覚している人が多いけれど、第一次世界大戦では日本はドイツと戦い、中国の青島やドイツが占領していた太平洋の島を全部、奪い取った。
 
2014・2・8 ユーチューブ   重要  
【1166】 なぜ、中国だけが白人側についたのか ? / 武田 邦彦
「コメント」
中部大学教授・武田邦彦さんのブログ音声をご紹介します  ( ご本人のご厚意により、引用が認められています )
 
日支戦争の原因が語られている。
 
2013・3・14 ユーチューブ 
太平洋戦争への道   (本来、タイトルはアメリカ戦への道にすべき)
「コメント」
 
先ず、指摘しておく事が三点ある。
 1)世界は当時、帝国主義である。
 2)表題が太平洋戦争とある。
太平洋戦争は、日本の大東亜戦争を日支戦争と日米戦争を分けるアメリカのプロパガンダである。
 3)満州地域がシナ領土と前提し動画が作られている。
2012・2・6 ユーチューブ 
【宮脇淳子】未来への指標〜満洲国とは何だったのか? [桜H24/2/6]
「コメント」
国家としての体を成してからようやく100年が経とうとしている中国に対し、いかに多くの日本人が目を眩まされたまま幻想から脱しきれずにいるのか、日本人からの評価が何故か高い孫文の実像や、地図上の変遷から見る清朝や中華民国の実相、満洲をめぐる日露の攻防などについて、それぞれの真相を日本人が読み解くためのポイントも押さえていただきながら、東洋史家の宮脇淳子氏に お話しいただきます。
2014・8・5 ユーチューブ 
自虐史観"では見えない、外から見た「満州事変」
「コメント」
自虐的歴史観では見えない、外から見た「満州事変」。
歴史の大きな岐路となった「満州事変」を、当時をよく知るアメリカ人日本研究家、ヘレン・ミアーズの視点を通して、客観的事実にもとずき見る...
2015・4 IRONNA 
日中戦争(シナ事変)の真犯人
「記事内容抜粋」
戦後70年が経っても「侵略国家」との烙印を押されたままの日本。
近年では対米英戦を「侵略戦争」だと主張する向きは少なくなったが中国大陸は「日本が侵略した」との考えが今なお根強い。
だが、日本は本当に中国侵略を望んでいたのだろうか。  
  小島新一のズバリ正論  東アジアを赤化する  7月7日といえば…  「当事者」が重大証言
  泥沼に引きずり込まれる  対日賠償はいつまで続く  関連記事  
  日本は中国侵略を望んでいたと思いますか?
 
大日本帝国はシナから誘導された結果であり、自ら進んでシナ大陸に手を出した訳では無い。
日本人の素直さが、白人とシナ人の悪巧みに引っかかった結果である。
それが大東亜戦争の始まりとアメリカ戦の始まり、東京国際軍事裁判である。
日本人のいい所でもあるのだが、白人やシナ人の様な強かさ無い。
例を上げば、敗戦後、毛沢東の共産党に寝返り航空部隊を編成したり、航空学校まで建設し、シナ人を指導し、シナ空軍の祖を築いた。
満州国境付近に残った大日本帝国・軍人が朝鮮人と共に新たに第二の日本を建国しようと利用された。
戦後の日本の左翼、反日日本人が彼等と同類であろう。
日本人は、一旦挫けると立ち直りがなかなか出来無い輩が多い気がする。
 
2015・2・1 産経WEST (1/2ページ) 足立勝美 【日本人の座標軸(29)】 ノモンハン事件 
「捕虜になる」危険察し命からがら逃げ出した「もう一人の小野田寛郎さん」
「記事内容抜粋」
昨年10月12日、兵庫県豊岡市の田中勝さん(89)が拙宅を訪ねて来られた。
ノモハン事件を体験された方である=本欄(24)に掲載。
「ノモンハン事件のことや笠井智一さんの撃墜王の話を産経新聞にズバッと書いていただき、うれしくて涙が出ましたがよ。ほんと、あんたが神さんに見えましたがな」 と方言交じりに褒めてもらった。
あいさつの後、次のようなことを話された。 
《心の片隅には、本当は話したくない気もありますがよ。でも、あんたなら分かってもらえると思いましてな。話しますだがよう。私たちは“例え死すとも捕虜になるなかれ”と教えられました。いよいよ武装解除のとき、水杯を交わし、上官から「日本に元気で帰れよ」と言われましたよ。
涙があふれてきて、止まりませんでした。
2013・5・21 ユーチューブ 
【歴史映像】昭和6年満州事変
「コメント」
昭和6年に勃発した満州事変の映像
2010・2・12 ユーチューブ 重要 
【倉山満】満洲事変は「国際法違反」と言われたら?[桜H22/2/11]
「コメント」
国士舘大学講師でいらっしゃる倉山満氏をお迎えし、『歴史通』3月号の総力特集「満洲国はワンダーランド!」にて執筆された記事「『国際法違反だ』と言われたら」をご紹介しながら、当時の中華民国が条約などの「約束」を守れる国家としての体を成しておらず、そして、現在の中国(中共)は当事者ですらないという歴史の真実を、論理を踏まえて日本人がしっかりと認識することの重要性などについて、お話を伺います。
2013・7・4 ユーチューブ 
第10週4話満洲事変〜日本が一方的に侵略?【CGS倉山満】
「コメント」
『じっくり学ぼう!日本近現代史』第10週これがホントの昭和初期〜大日本帝国滅亡の原因
第4話満洲事変〜日本が一方的に侵略?
講師:憲政史家倉山満、聞き手:神谷宗幣
今週のテーマは、「これがホントの昭和初期」。はたして言うほど暗黒時代だったのでしょうか?
今回は、満洲事変、日本が侵略をした、関東軍暴走の大悪事と描かれることもあるこの事変ですが、一体どういう状況だったのでしょう?
 
シナと呼ぶな!中国と呼ぶ原点がここで語られている。
2011・9・29 ユーチューブ 
黄文雄氏講演① 満洲事変の正当性と満洲国の意義
黄文雄氏講演② 満洲事変の正当性と満洲国の意義
黄文雄氏講演③ 満洲事変の正当性と満洲国の意義 目からウロコの15視点
黄文雄氏講演④ 満洲事変の正当性と満洲国の意義 目からウロコの15視点
黄文雄氏講演⑤ 満洲事変の正当性と満洲国の意義 目からウロコの15視点
黄文雄氏講演⑥ 満洲事変の正当性と満洲国の意義 目からウロコの15視点
黄文雄氏講演⑦/7 満洲事変の正当性と満洲国の意義 結論と質疑応答
「コメント」
黄文雄氏講演  『満洲事変の正当性と満洲国の意義』  〜傀儡国家論・日本侵略論の嘘っぱちを暴く〜
15項目の視点によって「目からウロコ」
月日:平成23年9月10日(土)  場所:豊島区医師会館  主催:日本の伝統と文化を語る集い
別冊「正論」 15号  IRONNA  田中秀雄(近現代史研究家) 戦後70年 日中関係
対日「十五年戦争」への前奏曲~かくして大陸は赤く染まった
「記事内容抜粋」
  東亜保全-日本の大命題  二十一カ条交渉における日清・日露の戦後処理  「欣然同意」の西原借款
  五四運動が孕んだ「種」  ワシントン会議の外交敗北  孫文の連ソ容共政策  
  共産主義浸透と暴虐事件の続発  済南事件の本質  田中上奏文と唐生智の足跡
  新たな「十五年戦争」史観を  
開戦の切欠 2
ソビエト連邦は、空軍志願隊(国際法違反)を送り込み、中華民国を支援していたが、アメリカ合衆国も資金並びに航空機を含むアメリカ兵パイロットを派兵(国際法違反)、大英帝国、ドイツ(上海事変)も公然と中華民国を支援するようになっていった。
大日本帝国VS中華民国
2015・6・7 ZAKZAKby夕刊フジ (1/2ページ) 黄文雄 
【中国の本性】日中戦争2つの真実 侵略戦争ではなく人道的、道義的介入だ
「記事全内容」
「日中戦争は、中国に対する『侵略戦争』である」とは、戦後、米国と中国、ソ連が決めつけたことである。
日本の保守派にも「侵略戦争だった」と思う人は多いようだが、私はテレビの討論会で「中国内戦に対する日本の人道的、道義的介入」だと発言したことがある。
中国の歴史を振り返ると、満州人の清王朝が1644年に首都を北京に遷(うつ)してから、康煕、雍正、乾隆の3帝が約130年間、有史以来初めて人頭税を減免した。
最も幸せな時代だったとも言われているが、その後、人口が急増して資源の争奪戦が激化し、自然と社会環境は悪化し続けた。
18世紀末の「白蓮教徒(びゃくれんきょうと)の乱」から、20世紀の「文化大革命」まで、中国では事実上、約180年間も内戦が続いた。
「太平天国の乱」(1851年)では人口の5分の1、19世紀末の「回乱」(=イスラム教徒の蜂起)では人口の10分の1が消えた。1911年の辛亥革命後、清帝国が崩壊して中華民国の時代に入ると、内戦はさらに激化した。
中華民国の評論家、林語堂の説によれば、国民党と共産党が戦った20世紀の「国共内戦」でも「3000万人が消えた」という。
日中戦争について、中国は「八年抗戦」と名付けているが、国民党と共産党のプロパガンダに振り回されてはならない。
日中戦争の真実については、少なくとも以下の2つを指摘しなければならない。
  (1)日本が中国内戦の泥沼に引きずり込まれてから起きた本格的戦闘は、盧溝橋事件(1937年)から、武漢陥落(38年)までの1年余に過ぎない。
その後、日本の支援を得た北京政府や各政府は、中国の近代化に努めた。
道路や鉄道、港湾などのインフラ建設を進め、内戦で荒廃した農村を再建し、国民を飢饉から救済した。
医療・衛生環境を整備して疫病を退治した。
伝統文化を保存し、学校を建設した。
治安を維持し、衰亡の危機にあった中華世界を再生させた。
逆に、インフラなどを破壊したのは、国民党と共産党の武装ゲリラ勢力である。
  (2)40年代に入ってからの日中戦争は、実質的には北京政府をはじめ、各政府を統合した南京、重慶、延安の3政府による、日本と米国、ソ連の代理戦争だった。
日中戦争の背後で、南京政府の置かれた地域では経済と治安が非常に安定していた。
戦後たった7カ月で米価が500倍近くも上がり、ハイパーインフレになって国共内戦が再燃した。
中国を主軸とする代理戦争は、辛亥革命(1911年)からはじまり、戦後の国共内戦、朝鮮戦争、ベトナム、カンボジア内戦など延々と半世紀以上にもわたる。
日中戦争が、米ソ以外に日英独も加えたアジアの代理戦争であるという20世紀の歴史を見逃しては、本質を見失ってしまう。
 
これこそ大日本帝国がシナで進めた立派な政策、立派な行動を阻んだのが、シナを狙う欧米列強とロシアである。
2014・6・12 ユーチューブ 
日中戦争は誰が引き起こしたのか?
「コメント」
1937年7月7日の盧溝橋事件に端を発した日中戦争。日本の侵略戦争の象徴として語られることの多いこの戦争だが、じつはそれを引き起こしたのは日本ではなく他ならぬ中国自身であった!?
5分で歴史の真相がわかるドキュメンタリー
2012・2・6 ユーチューブ  必見  これがシナ人の正体である
【宮脇淳子】未来への指標〜満洲国とは何だったのか? [桜H24/2/6]
「コメント」
国家としての体を成してからようやく100年が経とうとしている中国に対し、いかに多くの日本人が目を眩まされたまま幻想から脱しきれずにいるのか、日本人からの評価が何故か高い孫文の実像や、地図上の変遷から見る清朝や中華民国の実相、満洲をめぐる日露の攻防などについて、それぞれの真相を日本人が読み解くためのポイントも押さえていただきながら、東洋史家の宮脇淳子氏に お話しいただきます。
2010・2・20 ユーチューブ 
「支那事変とは何か」盧溝橋事件から南京占領まで
「コメント」
ソ連と傀儡蒋介石は半年の準備を終えて日本攻撃を始めた。
日本の対応方針の誤り、反撃上陸軍の苦戦、講和問題、杭州湾反撃、蒋介石軍の壊走、日本軍の第二の誤りである制令線の突破と南京占領まで。
アマゾン電子本掲示中: 索引:著者名落合道夫
1.大東亜戦争と日本人の課題 基礎編
2.支那事変の真実
3.日米戦争の真実
4.ノモンハン事件の真実
5.アジアの解放
6.泰緬鉄道の真実
7.共産主義からの解放
反日ドイツ・日本よ、歴史に学べ
2016・6・6 産経ニュース (1/6ページ) 【野口裕之の軍事情勢】  重要記事 必見
ドイツは日独伊三国同盟締結後も密かに中国を支援し続けた その「裏切りのDNA」は今もなお…

「記事抜粋」
伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)に参加したG7(先進7カ国)は、東シナ海や南シナ海における中国の海洋侵出に対する厳しい現状認識を共有し、首脳宣言に盛り込んだ。
中国をカネのなる木としか見られず、凶暴性を実感できない欧州にしては上出来で、まずはめでたい。
しかし、三重県鳥羽市のミキモト真珠島で、安倍晋三首相(61)の昭恵夫人(53)や他の首脳夫人とともに、ドイツのアンゲラ・メルケル首相(61)の夫君も体験した真珠の取り出しなど、サミットに伴うイベントで「不信の歴史」が唐突によみがえった。
ドイツの「対中脅威認識深度」には今後も観察が不可欠だと、直感させられた。
欧米の悪癖「中国へのえこひいき」の源流は近代にさかのぼる。
特に“ドイツと真珠の取り合わせ”にはドキリとさせられる。
その昔、「東洋の真珠」と呼ばれた、ドイツに縁の深い中国の都市が存在した。
ドイツが清国から租借した青島だ。
第1次世界大戦(1914~18年)開始直後、大日本帝國はドイツに山東省・膠州湾租借地の中国返還を最後通告、最終期限を待って宣戦布告した。
ドイツ降伏で中心都市・青島は日本統治となり、ドイツの一大権益は吹っ飛んだ。
以来、日本に恨みを抱くドイツの中国への肩入れは続き、1940年に日独伊三国同盟を樹立後も「中国支援」を密かに貫く。
同盟関係を裏切るドイツのDNAを、中国は見逃さない。
中国の習近平国家主席(63)は、日本も念頭に「中徳(独)合作」を21世紀に復活させるもくろみのようだ。
  新「中独合作」の序曲=大陸横断鉄道  
  
18世紀以来の国家的課題=中独軍事貿易
中略
繰り返しになるが、第1次大戦開始直後、日本はドイツに膠州湾租借地の中国返還を最後通告、最終期限1914年8月23日に宣戦布告した。
ドイツ降伏で「東洋の真珠/小ベルリン」と称された青島は日本統治となり、ドイツの一大権益は吹っ飛ぶ。
ドイツの“日本嫌い”は「青島の恨み」を起点としている、と思っている。
  中国軍の近代化に手を貸したドイツ軍
清国同様に対日戦略上、軍近代化を迫られた中国・国民党は満州事変(1931~33年)後、独ワイマール共和国や続くナチス政権に接近。
軍事用鉱物資源獲得の狙いもあり結局、ドイツは1927~38年まで軍事顧問団を送り続けた。 
とりわけ、1934年より1年間団長を務めたハンス・フォン・ゼークト退役陸軍上級大将(1866~1936年)は、第1次大戦で壊滅状態に陥ったドイツ軍の再建と将来(電撃)戦への青写真を確立した「ドイツ軍の頭脳」と畏敬された人物であった。
国民党の蒋介石前国民政府主席(当時/1887~1975年)に、大規模・低練度だった国民党軍の装備や機動性の向上を具申した。
後継団長アレクサンドル・フォン・ファルケンハウゼン退役陸軍中将(後に歩兵科大将に現役復帰/1878~1966年)も路線を踏襲し、ドイツ式教育訓練を続けた。
方針に沿い、8割が非近代兵器だった国民党軍に鉄帽/小銃/各種大砲をはじめ戦車や戦闘機まで輸出。
ドイツで教育した中国人技術者運営の各種工廠では双眼鏡/狙撃銃用照準/小銃/機関銃/迫撃砲/装甲偵察車両/大砲/ガスマスクを生産した。
毒ガス製造施設建設こそ中止されたが、化学研究所はドイツ企業の支援で完成した。
既述したが、国民党軍の軍装がドイツ軍ソックリなのは当然といえた。
  日本軍を苦しめたドイツ軍顧問団
折しも、国民党軍による攻撃に日本軍が応じ第2次上海事変(1937年)が勃発するや、ファルケンハウゼンは蒋に消耗・ゲリラ戦に持ち込み大日本帝國陸海軍を疲弊させる作戦を進言。
上海西方に構築した塹壕とトーチカによる要塞線=ゼークト線に日本軍をおびき寄せんとした。
日本軍は圧勝したが損害は予想外に大きかった。
軍事資源を産む鉱山・工業地帯と沿岸を結ぶ鉄道敷設でも中独は利害が一致。
ドイツ技術を投じた貴陽~南昌~杭州や漢口(現在の武漢)~広州路線は、軍用としても日本軍を悩ませる。
だが、ドイツ総統アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)の政策転換で「中独合作」はやっと変質する。
とはいえ「青島の恨み」はゾッとするほど根深い。
1936年に(対ソ)日独防共協定を結びながら、対中武器輸出を密かに継続。密輸は、37年の中ソ不可侵条約で態度を硬化させたヒトラーが新たな兵器輸出を禁じるまで続く。
それでも受注済み兵器は契約通り輸出され、完全な禁輸・顧問団撤退はドイツが満州国を承認した38年。
国民政府と断交、“親日”の汪兆銘政権(1940~1945年)を認めたのは、何と日独伊三国同盟締結から1年近くもたった41年になってだった。
  唖然とするメルケル独首相の対中認識
サミットで、欧州が中国への警戒心を示したかに見える背景には、安倍首相と欧州各国首脳との事前個別会談が横たわる。
5月の日独首脳会談でメルケル首相は自身の地元に設立された《孔子学院》について不満を漏らした。
いわく-
  「孔子を学ぶ施設ではなかった」
つづく
  
日本の頭ごなしの対中武器禁輸解禁を警戒せよ
前略
天安門事件(1989年)を契機にEU(欧州連合)は対中武器禁輸を続けているが、日本の頭ごなしに解禁する悪夢は絶対に阻止せねばならない。
2015・3 IRONNA 
日中戦争(シナ事変)の真犯人
「記事内容抜粋」
戦後70年が経っても「侵略国家」との烙印を押されたままの日本。
近年では対米英戦を「侵略戦争」だと主張する向きは少なくなったが中国大陸は「日本が侵略した」との考えが今なお根強い。
だが、日本は本当に中国侵略を望んでいたのだろうか。
  小島新一のズバリ正論  小島新一のズバリ正論  7月7日といえば…  7月7日といえば…
  泥沼に引きずり込まれる  対日賠償はいつまで続く  関連記事  
  日本は中国侵略を望んでいたと思いますか?
 
大日本帝国は、ロシアのスパイに翻弄され、大東亜戦争(シナ大陸)へ踏み込んだのだが、元お越しはシナ国民党の蒋介石である。
第一次大戦以降、大日本帝国は、海軍力を背景に世界の一等国へと駆け上り、国際連盟の会議場で 「人種差別廃止」 を堂々と発言した。
当時、世界は欧米列強の植民地であったが、アジアの一等国である大日本帝国がそれに異議を唱えたのである。
白人社会が黄色人種である大日本帝国の主張を呑めるハズも無い。
この時、大日本帝国が、現シナ共産党が執拗に仕掛ける日本へのプロパガンダを世界に向け、計画的に実行していれば、大東亜戦争が起きずに済んだ可能性がある。
しかし、大日本帝国にはシナ共産党の強かさと計画性が無かった。
自惚れていた可能性がある。
日本は今後、シナ共産党の強かさを見習い、目的を定め計画的にプロパガンダを実行する必要がある。
年 代   事 案
1926 済南事件 済南事件は、日本人の民間人を虐殺した事件だが、日本帝国とシナ国民党の対立は既に始まっていた事を示している
多くの日本の民間人がシナ人の標的となり殺人事件が起きていた
大日本帝国軍は我慢に我慢を重ねていた
1927・4~195・5 国共合作 この間蒋介石と毛沢東は国共合作を繰り返した
大日本帝国と戦ったのは蒋介石率いる中華民国、毛沢東は国民党軍の後ろに隠れ力を温存していた
1972・4・12 上海クーデター 蒋介石は国民党軍に指示し毛沢東の共産党を弾圧した事件 (四・一二事件))
国共合作が崩壊、国民党軍はこれ以降、共産党員の弾圧を続けた
1932・1~1932・3 第一次上海事変 蒋介石は、ドイツから人的援助と作戦案、武器弾薬の援助を受け、大日本帝国の上海租界地に無差別攻撃を仕掛け、非戦闘員である日本人婦女子の殺戮を実行した
1932・9・15~9・16 撫順炭鉱襲撃
(シナ人猟奇的虐殺)
平頂山(へいちょう)事件
昭和7(1932)年9月16日、前夜、抗日ゲリラ部隊に撫順炭鉱を襲撃された日本側の独立守備隊が、ゲリラに通じていたとして近くの平頂山集落を襲撃し、住民らを殺害した事件
犠牲者数は中国側が主張する約3000人から、数百人とする説もある
昭和23年、中国国民党政権下の瀋陽で行われた戦犯裁判で
事件とは無関係とされる元撫順炭鉱長ら7人に死刑判決が下された
 
当時の日本政府の無能無策振りが明かされているが、戦後、日本軍悪人説の原因になったのであろう
1936・9・23 上海日本人水兵狙撃事件 シナ人は一方的に仕掛けていた
1937・8・13 第二次上海事変 これに怒っただ大日本帝国は上海に軍隊を送り国民党軍を制圧、南京へと戦線を拡大したのである
1937・8・15  上海派遣軍編成 大日本帝国・上海派遣軍編成
1937・11・7 大日本帝国
上級司令部中支那方面軍を編成
上海西部の蘇州から嘉興を結ぶ戦までを作戦制限区域とした
1937・11・16 南京から重慶へ遷都 蒋介石は国民政府の首都を南京から重慶へ遷都、要するに逃げたのである
1937・11・24 大本営
作戦制限区域を解除
大日本帝国は南京攻撃を視野に入れる措置
1937・12・1 南京城攻撃 南京攻略を命令下る
1941・6・5 重慶空爆 国民党軍による度重なる攻撃に大日本帝国軍は痺れを切らした
 大日本帝国は、蒋介石が率いる国民党軍と戦ったが、アジア人(有色人種)と戦ったのは日支(蒋介石)戦だけである。
当時、大日本帝国と戦いは中華民国・国民党軍であり、毛沢東の共産党軍の規模は小さく山奥の延安に隠れていたが、終戦間近、国共学合作により、朱徳率いる八路軍(共産党軍)が国民党軍の配下に組み込まれたが、大日本帝国軍へのゲリラ戦を仕掛けただけである。
これで、終戦まで共産党軍が温存され、大日本帝国軍との戦いで疲弊した蒋介石は、コミンテルンの計略に引っかかったアメリカは毛沢東(共産党軍)を支援、蒋介石は台湾に逃亡する。
毛沢東書簡のタイプ文書
2015・12・16 産経ニュース 共同 
毛沢東書簡、1億円で落札 ロンドンの競売で 「英国人が日本による中国侵略知れば中国を支援する…」
「記事全内容」
中国共産党を率いた毛沢東が1937年、英国の労働党党首だったクレメント・アトリーに対し、抗日戦争での支援を求めた書簡が15日、ロンドンで競売に掛けられ、60万5千ポンド(約1億1千万円)で中国人の個人収集家に落札された。
10万~15万ポンドとされた予想額を大幅に上回った。
競売大手サザビーズが発表した。
書簡は37年11月1日付で、共産党が当時、抗日戦争の拠点としていた延安から送られた。
「英国人が日本による中国侵略の真実を知れば、中国人を支援するために立ち上がると信じている」などと訴えている。
毛沢東が中国語で書いたものが英訳され、現地を訪れた
ニュージーランド出身のジャーナリストがタイプ打ちした。
中国語原本は残っていない。
毛沢東の署名が入った書簡が国際市場で競売に出されるのは異例という。
 
1937年の原文ではないのか! この毛沢東書簡のタイプ文書、時系列からして怪しいが、大日本帝国と蒋介石の戦いに英国を巻き込み加勢させる狙いで依頼したのだろうが、この文章でハッキリしたのは、毛沢東(シナ共産党)はソ連のコミンテルンの指揮下にあり既に、大日本帝国共産化計画に向け動いていた事を表す文書になるかも知れない。
撫順炭鉱襲撃・平頂山(へいちょうざん)事件
2015・9・14 産経ニュース (1/4ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【満州文化物語(6)】 
“反日プロパガンダ”に使われる「平頂山事件」の真実 語られぬ抗日ゲリラの撫順炭鉱襲撃

「記事内容抜粋」
  満鉄が作った未来都市  汚名だけ着せられて  殺戮、放火、破壊…
翌9月16日付、満洲日報号外はこう報じている。
  《深夜の炭都はたちまちにして物凄(ものすご)き戦闘の巷と化し、炭鉱事務所、社宅は焼き払われた。死傷者多数…泣き叫ぶ男女の様はまさにこの世の修羅場》
銃、槍(やり)、太刀で武装した抗日ゲリラや匪賊は、殺戮、放火、破壊の限りを尽くす。
光恵がいた楊柏堡の社宅には約80家族、約300人が住んでいた。
間一髪で坑道へ逃げ込んだが、あと一歩避難が遅れていたら、全滅の危険性もあったという。
翌日、診療所の責任者だった友七郎は犠牲になった炭鉱職員や家族の検視を行っている。
  「非常に惨(むご)い状態で、
耳や鼻をそぎ落とされ、目までくりぬかれていた…顔が分からず、ご本人と特定するのが難しかったと聞きました」
撫順の日本人に、やり切れない思いが残った。
抗日ゲリラに通じていた、とされる地元住民の多くは炭鉱で働く労働者である。
これまで彼らと家族の暮らしを支えてきたのは炭鉱の日本人ではなかったのか、それなのに…。
事件の証言者は光恵だけではない。
それは次回に書く=敬称略、隔週掲載
 シナ人は猟奇的であり、蒋介石は本当に悪人、台湾が乗っ取られた事が非常に残念である。
読売新聞も売国メディア 
2015・8・25 ユーチューブ 重要・必見
【2015年8月25日生放送ノーカット版】馬渕睦夫『外交虎の穴 日本をどう活かすか?~国家戦略としての外交~』
「コメント」
2015年8月25日に収録・ニコニコ動画で生放送配信をした、
馬渕睦夫『外交虎の穴 日本をどう活かすか?~国家戦略としての外交~』
ノーカット版を公開致します。
テーマは「安倍総理の七十年談話に思う」
 
大日本帝国がアメリカ戦に突き進んだ理由が22分30秒過ぎに語られている。(大日本帝国は蒋介石との講和を望んでいたが、断念した理由が語られている)
2015・3・31 産経ニュース 龍谷大教授 李相哲 必見 満州国関連記事 
名をはせた普天堡戦闘…実態は犠牲者幼児1人  虚構の進軍命令、ソ連軍は「対日戦に参加させず」
「記事内容抜粋」
金正日(キム・ジョンイル)は2010年8月、父、金日成(イルソン)が学んだ中国吉林市の毓文(いくぶん)中学校を訪れた。
2年前に脳卒中で倒れてからは体調が優れず、無理を押しての外遊だった。
真偽は不明だが、後継者の金正恩(ジョンウン)が同行したとも伝えられた。
事実なら「革命発祥地」として、見せておかなければならない何かがあったのか。 
1927年2月、日成は父、金亨稷(ヒョンジク)の知り合いを頼りに毓文中を訪ね、中学2年に編入した。
旧満州で漢方医をし、独立運動にも携わった亨稷は、地元朝鮮人社会でそれなりに名の知られた存在だったようだ。 日成は回顧録『世紀とともに』で、こう振り返る。 
「吉林にいる名士らは、ほとんど父と面識があった。父の親友らの家を頻繁に出入りし、そこで独立運動指導者たちに出会った」
日成は「金日成」という名が「祖国」でどう伝わり、実年齢がどのような反響を呼ぶかを熟知していた。
それを利用しようとしたソ連の思惑をも逆手に取って瞬く間に権力を手中にする。
  駐在所はぬけの殻  “消去法”の地位  利用しようとしたソ連「若くうれしい」  
 
朝鮮半島は嘘だらけ、北も南も建国に至る歴史は嘘で飾られている。
シナも同じだが・・・日本以外、北東アジアは嘘つき国家ばかりである。
2014・7・1 ユーチューブ 
【日本・中国】南京大虐殺 100人斬りの真実       南京に移行
「コメント」
日本を良くしたい!!
日本人に日本を好きになってもらえるようにがんばります。
2015・6・6 TBS JNN
中国・重慶の爆撃から74年、現地で追悼式典
「放送全内容」
日中戦争のさなか、中国内陸部の都市・重慶を日本軍が200回以上爆撃し、大勢の市民が犠牲となった“重慶の爆撃”の追悼式典が、5日、現地で行われました。
日中戦争さなかの1941年6月5日、6時間にも及んだ日本軍による空襲から逃げようと防空壕に市民が殺到し、およそ2500人が圧死や窒息死をするという大惨事がありました。
日本軍は1938年から4年半余の間に、当時中華民国の臨時首都が置かれていた重慶を200回以上にわたって爆撃しました。
最初は軍事施設などが目標でしたが、やがて市街地全域を無差別に攻撃する“絨毯爆撃”に発展し、犠牲者は1万人以上に上ったとされています。
「腕にけがをして、頭もけがをして、両耳も聞こえにくくなって、頭の中には今も弾の破片が残っています」(6歳のときに爆撃で負傷した女性)
今では中国有数の大都市に発展した重慶。当時を知る人は少なくなりましたが、5日に行われた追悼式典には若い世代の姿もありました。
「もし新たな戦争が起きそうになったら、こういう過去の教訓について考えるべきです」(式典の参加者)
“重慶の爆撃”は、もはや日本ではあまり語られることはありません。しかし、重慶の人々は74年がたった今も、ここで何が起きたのかを忘れてはいません。
 
これは宣戦布告を終えてからである。
TBSは日本国民に何を伝えたいのか? シナ大陸で多くの婦女子を含む日本人が虐殺された事実を報じたか? 通州事件、通過事件、上海事変である。
大陸での死者の数は日本人の方が多い可能性さえある。
2015・3・15 ユーチューブ 注目 
黒人運動家が白人を優遇しない日本の帝国ホテルの対応に感動!!
「コメント」
黒人運動家デュボイスが日本の帝国ホテルで支払い待ちをしていた時のこと。
当たり前の顔をしてアメリカの白人女性が彼の前に割り込んだ。その時の帝国ホテルの対応にデュボイスが感動。
 
この動画は1936年の話だが、大日本帝国が欧米列強と大東亜戦争を戦い、アメリカ一国に敗れたが、帝国ホテルのフロント係りが示した真心を人類に届けたのである。
大日本帝国が立ち上がらない世を考えると恐ろしい。
2015・2・3 ユーチューブ 
【海外の反応】南京大虐殺なんて無かったの?中国人「おじいさんから聞いた本当の歴史」日中戦争の真実
「コメント」
以下、補足です(コメントからの抜粋)。
●こういった戦争の事情が真実なら中(+韓)が日本にしつこく因縁をつけなければならない目的は何なのでしょうか?
当時「中華思想」から「日本や西欧諸国は中国より劣った野蛮な国だから、排斥すべきだ」という「排外運動」が起きるようになりました。
西洋が排外運動を強圧的に徹底して封じ込めたのに対し、日本はそれを自重しました。
日中戦争中も、飢饉や戦闘に巻き込まれて傷ついた中国の民間人を、日本軍は多数救済しています。
救済された住民は日本に感謝しました。
ところが、周囲の他の中国人は、そのような日本人の行動を理解せず、弱者にもやさしい日本人を侮り始めたのです。
中国では5000年間いつも暴君が上に立ち、民衆はそれに支配され、搾取されてきました。
中国では、強者はつねに弱者を虐げる者なのです。
強者は弱者を助ける、という観念はありません。
ですから中国人は、弱者を助ける日本人や、暴力を受けても必要以上に反撃しない誠実な日本人をみたとき、その行動を理解せず、それは日本人に「弱み」があるからだと考えます。
結果、西欧に対する排外主義を引っ込め、反日主義にしぼりました。
つまり日本人の中国人への同情とやさしさが、かえって日本人への侮りと、反日運動を増長させる結果となったのです。
ですから日本人が自虐的になればなるほど、中国は加虐的になってきます。
こうして中国は、政府主導で反日主義を今も燃え上がらせるのです。
いわば、「ドS」なんです。
現在も、中国では反米主義は燃え上がりません。
それは、アメリカも「ドS」だからです(笑)
ちなみに、韓国の場合ツンデレ要素も入っています(笑)
南京大虐殺なんて無かったの?【海外の反応】
中国人「おじいさんから聞いた日中戦争 本当の歴史」
 
動画に流れるコメントに、おかしな点があるが、何故、日中戦争とタイトルに記入するのか? 正確に中華民国戦としなければ、今の中華人民共和国と戦った国が同じと誤解すると思うのだが・・・
2015・4・8 サーチナ 編集担当:如月隼人 
「抗日ドラマは大嫌いだ」と中国軍元兵士・・・日本軍と戦った証言者!=中国メディア
「記事内容抜粋」
浙江省の有力紙「今日早報」は7日、「抗日戦の老兵を取材。
最も嫌いなのは抗日“神劇”」と題する記事を掲載した。
抗日戦を戦った89-93歳の元兵士の証言として、当時の戦いがいかに苦しかったかを紹介し、彼らは安直に作られる「抗日ドラマ」に強い反感を持っていると伝えた。
取材を受けたのは、共産党系で旧満州などで日本軍や満洲軍と戦った東北抗日聯軍の元兵士の黄開仁さん(93歳)、国民党兵士として四川省方面で戦った川軍元兵士の盧彩文さん(90歳)、国民党が英軍支援にためにビルマに派遣した中国遠征軍元兵士の李文仲さん(90歳)、共産党軍である八路軍元兵士の張殿国さん(89歳)らだ。
中略
  **********
  ◆解説◆
上記記事には不自然な面もある。
元兵士による「過酷な従軍生活」についての証言は発言者名を明記しているのに、「最も嫌いなのは抗日“神劇”」との発言には明確な主語がないことだ。
“神劇”批判は見出しにもあり、同論説の主要な主張と考えられる。
「真実の戦争体験」を持つ元兵士が、安直に制作される「抗日神劇」を毛嫌いすることは不自然ではないが、上記論説は「結論ありきの取材記事」だった可能性がある。
ただしその場合、上記論説は 「抗日神劇」 に批判的である。
当局上層部の意向を反映したものと、読み取ることができる。
 
八路軍の名も上げられているが、戦いの様子が殆ど語られておらず、大日本帝国軍とたいした戦闘をしていないと言う事だろう。
日米戦の背景と全貌
2015・5・6 ユーチューブ 注目重要動画 
平成25年08月04日「ヴェノナ文書が暴いたルーズヴェルトの戦争責任」講師:江崎道朗先生
「コメント」
スタジオ日本・特別報道番組 第8弾  日本会議福岡 第9回 追悼・感謝 英霊顕彰・県民の集い(平成25年8月4日開催)
[趣旨]
「ヴェノナ文書」が暴いたコミンテルンの戦争責任
  ■コミンテルンのスパイを暴いた「ヴェノナ文書」の衝撃
第二次世界大戦前後の時期に、アメリカ政府内部に多数のソ連のスパイが潜入していることを暴いた「ヴェノナ文書」の公開以降、同国内では、「ルーズヴェルト政権はソ連や中国共産党と通じていたのではないか」という古くからの疑念が、確信へと変わりつつある。
当然、当時をめぐる歴史観の見直しも進んでいる。
しかも、そのピッチは近年、急加速していると言ってよい。
ヴェノナ文書とは、第二次世界大戦前後の時期にアメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、アメリカ陸軍情報部が秘密裡に傍受し解読した記録である。
1995年、アメリカ国家安全保障局(NSA)が公開した。
これら機密文書が次々と公開され、その研究が進んできた結果、ルーズヴェルト大統領の側近であったアルジャー・ヒス(傍線は共産党員又は協力者と思われる人物。以下同じ)を始めとする二百人以上のスパイ(あるいは協力者)が政府官僚として働いていたことが立証されつつあるのだ。

ヴェノナ文書が暴いたルーズヴェルトの戦争責任
開戦の切欠 3
1941年 東アジアに権益を持つアメリカ、イギリス、シナ、オランダによる経済封鎖をABCD包囲網と大日本帝国が付けた名称であるが、資源に乏しい大日本帝国は存亡の危機に直面した。
押さえて置きたい重要なキーワード
 ※ルーズベルト大統領は、誰もが知る人種差別主義者であり、大日本帝国を憎んでいたと言われている。
1941年11月26日 アメリカから大日本帝国に提示されたアメリカ合衆国と大日本帝国の間の協定で提案された基礎概要(ハルノート)がある。
アメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前からこう呼ばれている。
ハル・ノートの内容は、大日本帝国にとって受け入れがたいものであったため、「”事実上の”最後通牒であった」とする解釈がある。
しかし、戦後分かった事だが、大日本帝国に渡されたハルノートは、実物では無く、アメリカ政府に忍び込んでいたコミンテルンのハリー・ホワイトが書いた物と明らかになっている。
当時、大日本帝国にも多くのコミンテルンが暗躍していた事が明らかになっている。
ハルノートの内容の一部
  日本は南部仏印から撤兵し、かつ北部仏印の兵力を25,000人以下とする
  日米両国の通商関係は資産凍結令(7月25日)以前の状態に戻す
  この協定は3ヶ月間有効とする
ハルノートの内容は、日本側にとって受け入れがたいものであったため、その点をもって「“事実上の”最後通牒であった」とする解釈がある。
ハルノートに纏わるアメリカの日本大使館
大日本帝国が始めたとされる大東亜戦争の一部であるアメリカ戦の最後通牒に纏わる話がある。
大日本帝国政府は、最後通牒電文をアメリカの日本大使館へ打電し、確認の為、何度も電話を入れたが、連絡が取れなかった事が明らかになった。
これまでは、最後通牒を受け取った野村大使が翻訳に手間取り、国務省提出が遅れたと言われて来たが実は、日本大使館員全員が同僚の送別会に出席し、大使館員全員不在であった事が最近の調査で明らかになった。
大日本帝国政府は事前に野村大使に待機命令を出していたとされている。
不思議な事に、大失態を犯したハズの当時日本大使館に在籍した大使館員が出世したのである。
普通では考えられない人事である。
スパイに翻弄された大日本帝国・アメリカ
2013・8・30 ユーチューブ
【恥ずべき最後通牒ハル・ノート】への批判ハミルトン・フィッシュ
「コメント」
参考文献  『日米・開戦の悲劇』ハミルトン・フィッシュ岡崎久彦監訳
大東亜戦争・日米戦の実態
2016・2・23 ユーチューブ 重要動画 必見 
第9回 加瀬英明×堤 堯「つつみかくさず」 ~我々が本気で話す日本の裏舞台~

「コメント」
加瀬英明=外交評論家、堤堯=ジャーナリスト・元文藝春秋編集長 戦後日本をたどる秘話を語りつくすふたり。
第9回テーマ・・・日米戦争を起こしたのは誰か?
【2016年2月23日(火)16:00〜17:00】
 
※日米戦は米国が仕掛けた舞台裏
ルーズベルトはアヘン成金である
大東亜戦争の一部である日米開戦のアメリカ・ルーズベルト大統領演説
2012・8・28 ユーチューブ 
ルーズベルト真実の開戦演説
「コメント」
ナシ
 
これが白人の民族、人種差別主義らしい演説内容である。
白人から見たルーズベルトの正体
2012・4・21 ユーチューブ 
フランクリン・ルーズベルト 3-1
フランクリン・ルーズベルト 3-2
フランクリン・ルーズベルト 3-3
「コメント」
98年ごろのビデオ。
ネットからか、荒巻義雄からか?最近めっきり悪者扱いのルーズベルトですが、昭和の歴史の教科書では、「20世紀最大の指導者」になってました
ファイルは3つ
2013・5・12 ユーチューブ 
【見事な配備】ルーズベルトは知っていた
「コメント」
『真珠湾の真実』 ロバート・B・スティネット/妹尾作太男監訳  
『日米開戦の悲劇』 ハミルトン・フィッシュ/岡崎久彦監訳
 
アメリカは策略を用いて大日本帝国をアメリカ戦に引き込んだのだが、 大日本帝国は既に情報戦で負けていた様である。
2011・10・31 ユーチューブ 
ゾルゲスパイ団の暗躍で日本は対米戦争へ誘導された.wmv
2011・10・30 ユーチューブ直接検索
ハルノートが作られる経緯その1
ハルノートが作られる経緯その2
ハルノートが作られる経緯その3
 ソ連のスパイ、パブロフとハリー・ホワイトの諜報工作が語られている。
2013・4・24 ユーチューブ 重要 
【西尾幹二】#125 日本人が戦った白人の選民思想・前半[桜H25/4/24]
「コメント」
占領下、大東亜戦争を戦った日本人の物語を断ち切るかのように、7千冊以上の戦前・戦中の書物がGHQが没収させた。
理不尽な"焚書"に遭ったそれらの図書を"開封"し、当時の日本の実相を読み解いていきます。
今週の「GHQ焚書図書開封」は、西尾幹二自身が外国人特派員協会で指弾した『白人の侵略』に関連し、さらなる核心を追及していきます!
第125回:戦中の日本人は戦後のアメリカの世界政策を知りつくしていた。
  出演:西尾幹二(評論家)  平成25年4月24日 放送
2011・12・5 ユーチューブ チャンネル桜
【加瀬英明】アメリカはなぜ対日戦争を仕掛けたのか[桜H23/12/5]
「コメント」
近年、外交機密が解除され、日米開戦に関する真相が明らかになってきた。
従前から定説とされてきた「日本の不意撃ち」は、実はアメリカの外交戦略に嵌められたものであり、ルーズベルト大統領を始めとする対日強硬派の強かな外交戦略の勝利でもあったのである。
今回は、外交研究家として日米外交史に詳しい加瀬英明氏をお招きし、アメリカが日本に戦争を「仕掛けた」事情について解説していただくと共に、これらの「史実」を世界に広く発信している『史実を世界に発信する会』の活動内容についても御説明いただいます。
 
加瀬英明氏は下段に記載したアジア・アフリカ会議に出席された加瀬俊一外務相参与(後に国連大使となる)の息子と思われる。
トルーマン大統領
トルーマン大統領は白人至上主義者である。
黄色人種の大日本帝国を許せるはずが無い。
大日本帝国は天皇陛下を頂き、古き良き文化と伝統を誇るアジア唯一の独立国を白人至上主義者が許せるはずが無い。
国際法を無視した二発の広島、長崎への原爆投下、東京を始めとする都市への無差別攻撃を考えれば白人至上主義の愚かさも理解できる。
日本民族と白人の考え方に大きな差がある。
これを原点に大東亜戦争を考えなければ答えが見いだせないだろう。
2014・5・24 ユーチューブ  重要   
西尾幹二「日米戦争とその背後にある西欧500年史―幻となった文明―」第一部
西尾幹二「日米戦争とその背後にある西欧500年史―幻となった文明―」第二部

西尾幹二「日米戦争とその背後にある西欧500年史―幻となった文明―」第三部
「コメント」
【第一部】
【第二部】
【第三部】
歴史・公民 東京塾・第24回研修会  平成26年4月26日(土) 豊島区医師会館
主催/日本の伝統と文化を語る集い  企画・運営/「新しい歴史教科書をつくる会」東京支部
 
白人の考え方が語られている。
映画・大ヒットした青い山脈は西尾氏が第三部でプロパガンダ映画であると明かしている。
2015・4・10 産経WEST (1/4ページ)  園田和洋 【歴史事件簿】  必見 大東亜戦争を語る上の予備知識
パールハーバーの誤算(1) 日米はなぜ開戦に至ったのか…米も欲した満鉄利権、確執は満州での“すれ違い”から始まった
「記事内容抜粋」
今から74年前の昭和16年12月8日、旧日本軍はハワイ・真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を攻撃し、太平洋を舞台にしたアメリカとの戦いに突入する。当時、アメリカの生産力が日本の10~20倍もあったため日本の軍部の中にも対米戦に消極的な声もあったのだが、なぜ踏み切らなければならなかったのか。その原因は、真珠湾攻撃の36年前に日露戦争の講和を仲介したアメリカとのすれ違いから始まっていた。
  ターゲットは満州  対立深める日米  ニイタカヤマノボレ  当時の世相映した国策映画「潜水艦1号」  
2015・4・21 産経WEST (1/5ページ) 【歴史事件簿】 必見 大東亜戦争を語る上の予備知識
パールハーバーの誤算(2) 職を賭した山本五十六の「奇襲」決断…開戦は宣戦布告30分後 綱渡りの全軍突撃命令
「記事内容抜粋」
昭和16年12月、ハワイに向かう空母6隻を中心とする機動部隊に8日の開戦を命じた連合艦隊司令長官の山本五十六(いそろく)大将だが、宣戦布告から30分後の攻撃という綱渡り的なスケジュールには一抹の不安をもっていた。
「ここで手順を間違えば…」。
何度も外交手順に念を押したのは、赴任の経験を通してアメリカの力を十分に弁えていたからにほかならなかった。
そんな中、当初の予定の8日未明、広島・柱島沖に停泊中の戦艦「長門」の作戦室にハワイ攻撃機から全軍突撃命令の電波が届いた。
  航空機で真珠湾を  アメリカの絶縁状  宣戦布告と開戦  
 
宣戦布告が遅れた原因は英訳に手間取ったと子供の頃から聞かされていたが、真っ赤な嘘であった事を知った時には驚いた。
不可解な事だが、宣戦布告に関わった官僚が戦後、出世しているのである。
外務官僚の愚かさが分かる宣戦布告の一部始終が掲載されている。
2015・4・23 産経WEST (1/4ページ)  園田和洋  【歴史事件簿】  必見 大東亜戦争を語る上の予備知識
パールハーバーの誤算(3) 「トラ・トラ・トラ」奇襲するも米空母は不在…「宣戦布告文書」の遅れ“だまし討ち”印象づける
「記事内容抜粋」
日本時間の昭和16(1941)年12月8日未明、ハワイ近海に迫った日本の機動部隊から発艦した約180機の一波攻撃隊は低空でハワイに侵入後の午前2時52分、奇襲攻撃成功の電文「トラ・トラ・トラ」を発信した。
完全に虚を突いて襲った日本機は停泊中の戦艦や飛行場に壊滅的な打撃を与える。
ところが、最大の攻撃目標だった米空母がいない。
しかも攻撃30分前に出る予定だったアメリカへの宣戦布告が遅れたことを知った連合艦隊司令長官の山本五十六(いそろく)大将は華々しい戦果に沸く中、複雑な表情を見せたのだった。
  トラ・トラ・トラ  度重なる失態  眠れる獅子を…
中略
だが、山本にとってはそんな原因はどうでもよかった。
留学や武官としての赴任経験を通してアメリカの国民性を知るだけに、「卑怯(ひきょう)なだまし討ち」とみられても仕方ない今回の外交の遅れが、今後の戦局に大きくのしかかってくるだろうと考えたのだろう。 
つまり、アメリカの戦意を喪失させる作戦が、眠れる獅子を起こす結果を招いてしまったというのだ。
 
余る話題に上らないが、宣戦布告が遅れたのには、日本の外務省とアメリカの日本大使館にスパイがいた可能性が考えらえる。
戦後の官僚達の出世振りにそれが窺えるのだが・・・
2015・5・1 産経WEST (1/4ページ) 園田和洋  【歴史事件簿】 必見 大東亜戦争を語る上の予備知識
パールハーバーの誤算(4完) 囁かれる「ルーズベルト陰謀説」…あえて奇襲を受け日本を「悪者」に
「記事内容抜粋」
現地時間で昭和16年12月7日朝(日本時間は8日未明)、日本海軍の航空母艦6隻を主力とする機動部隊がハワイのアメリカ太平洋艦隊を急襲。
計約350機による攻撃は予想をはるかに上回る戦果をあげた。ところが日本軍はこれに満足してか、さらに続ける予定だった攻撃を切り上げて帰途につく。
対するアメリカ政府は“日本軍のだまし討ち”として国民や議会に漂っていた厭戦(えんせん)気分を一気に吹っ飛ばし、世界戦争に参戦していった。
  無傷での帰途  陰謀説  脅威の回復力
中略
8日、ルーズベルト大統領は議会に日本への宣戦布告の同意を求めると、これまで戦争に消極的だった上院、下院も圧倒的多数で認めたため、以後、太平洋と欧州の両面での戦いに突入する。 
そのときの合言葉となったのが、「リメンバー パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」だった。
  真珠湾攻撃と戦艦大和 
航空機で戦艦は沈められないという考えが日本だけでなく世界的にも主流だっただけに、真珠湾攻撃が世界各国の戦術を見直す一大転換点になったことは間違いない。
 
アメリカ軍の素早い行動に陰謀説が浮かんで当然である。
伸び切った戦線
1941年12月8日 大日本帝国は真珠湾を攻撃、アメリカ戦の火蓋が切って落とされたが、主な攻撃目標であるアメリカの空母部艦隊は真珠湾に停泊しておらず、目的が達成されなかった。
この時既にアメリカは、大日本帝国の暗号電文を傍受し解読を終えており、大日本帝国の真珠湾攻撃を知り、空母部隊を真珠湾から退避させていたと言われている。
大日本帝国は、資源を求めて南下、各地域で戦闘に突入した。
戦闘開始の時系列 敵対国 大日本帝国皇軍が戦った戦場
1041・7 インドと接触 対インド責任者・藤原岩市体バンコクで極秘に接触
1941・12・8~1942・5・10 アメリカ フィリピン戦
1941・12・8~1945・8・15 タイ進駐
1941・12・8~1942・1・31 大英帝国 マレー戦
1941年開戦直後から1945・8・15 大英帝国 ビルマ戦
1942・1・31~2・15 大英帝国 シンガポール戦
1942・2~1943・11 オーストラリア戦
1042・3・8~1945・8・15 アメリカ ニューギニア戦
1942・6・4 アメリカ ミッドウェー海戦
1942・4・18 アメリカ 南太平洋、洋上
大日本帝国海軍、初めて空母を失う(下段に記事あり)
1942・8 アメリカ ガダルカナル決戦
1943・1・4 大本営の撤退命令、敗北が確定・・・大局暗転
1943・2 大英帝国 チャンドラ・ボーズ来日 インドは大英帝国から独立を覚悟、着々と日印で計画を実行。
1942・7 アメリカ アメリカとオーストラリア分断作戦
日本側は軽空母の祥鳳を失い、翔鶴も大ダメージを受ける
少数精鋭で連合国との戦いに挑んできた日本海軍航空隊にとって艦載機81機と、長期間の猛訓練で育ててきた大勢のパイロットを失った影響は大きかった
アメリカはレキシントンが沈没し、ヨークタウンがダメージを負った
1942・10 アメリカ ミッドウェー海戦
昭和17年10月、南太平洋上に浮かぶソロモン諸島の一角、ガダルカナル島を巡る日米両軍の攻防は2カ月半を経てもなお、し烈な戦いが続いていた。
飛行場の周囲を要塞化したアメリカ軍を攻略できない日本軍は陸上部隊の支援のため、4隻の空母からなる機動部隊を派遣する。
そして、26日未明に発見したアメリカ機動部隊に向けて艦載機は発進した。
だがアメリカも同時に日本の空母も発見していた。
ここにミッドウェー以来最大の日米機動部隊同士の戦いが始まった。
この戦いで帝国軍のパイロットを全て失った。
日米戦の潮目の変わりである。
1943・11・5~1943・11・6 大東亜会議
1943年5月31日 御前会議で決定された大東亜政略指導大綱に基づき開催された
大日本帝国の同盟国、旧宗主国を放遂し独立したアジア諸国の最高責任者を招請して行われた
大東亜共同宣言が採択された
1945年5月 代替えとして駐日特命全権大使と駐日代表による「大使会議」が開催された
参加国
大日本帝国 : 東条英機内閣総理大臣
中華民国(南京)国民政府 : 汪兆銘行政院長
満州国 : 張景恵国務総理大臣
フィリピン共和国 : ホセ・ラウレル大統領
ビルマ国 : バー・モウ内閣総理大臣
タイ王国 : ワンワイタヤーコーン親王(首相代理)
インド : 自由インド仮政府首班 チャンドラ・ボース
 
※注目・・・蒋介石が代表を送って来ている
中華民国は代理、蒋介石は大日本帝国を捨てると決めていたのであろう
1943・11・22 アメリカ
イギリス
中華民国
カイロ会議
人種差別主義者であるチャーチルは反対したが、ルーズベルトはチャーチルを説得、蒋介石を口説き落としカイロに迎えた。
国連への誘い水が利いたのであろう
1944・10・23~10・25 アメリカ レイテ島海戦
大東亜戦争後期の昭和19年10月23日から、同25日にかけてフィリピ­ン及びフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍とオーストラリア海軍からなる連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称が「レイテ沖海戦」である
 大日本帝国は、蒋介石を大東亜会議へ招待、蒋介石が代理を出席させているのは講和を考えていた証であろう。
大東亜会議は大東亜戦争の行方を変える可能性があった事を窺わせる大事件と言える。
大日本帝国がルーズベルトより先に中華民国と講和が成立していれば、大逆転もあり得たのかな? 資源も必要だが情報量が少な過ぎてアメリカ戦勝利は無理であろう。
しかし、日本帝国がもし、勝利していれば、戦後の世界は身分差別、貧困、飢えが消可能性があると思うのだが・・・
ガダルカナル決戦敗北後、資源が乏しい大日本帝国は戦時物資の補給が利かず玉砕が続いた。
2015・6・4 産経WEST (1/4ページ) 園田和洋 【歴史事件簿】 
珊瑚海海戦(上) 緊迫!南太平洋での“見えない闘い”…米攻撃で日本は初めて空母失う
珊瑚海海戦(下) 史上初「空母対決」の凄まじき攻防…米と“痛み分け”の日本、ついに破竹の進軍止まる
「記事内容抜粋」
  (上)昭和17年4月18日、インド洋で作戦展開した日本海軍機動部隊は成功のうちに終えて帰国の途中、連合艦隊司令部から1本の電文を受ける。
現在、南太平洋で進行中の上陸作戦に2隻の空母「翔鶴(しょうかく)」と「瑞鶴(ずいかく)」を参加させよというものだった。
司令部はアメリカ軍の力を低く評価したのか。
戦線に投入して間もない2隻を作戦を通して練度を高めていこうという、いわば訓練感覚での投入だった。
  5航戦招集  索敵合戦  「祥鳳」の撃沈  
中略
ちくはぐな攻撃の末に空母を失った井上中将は平静を装っていたが、動揺は隠せなかったという。
こうなると収まらないのが、翔鶴と瑞鶴を中心とする5航戦の面々だった。
 
情報不足。
  (下)
昭和17年4月、オーストラリアとアメリカを分断するために実施されたニューギニア島ポートモレスビー攻略作戦に途中参戦した日本海軍の空母「翔鶴(しょうかく)」「瑞鶴(ずいかく)」の第5航空戦隊(以後は5航戦)は、アメリカ機動部隊を求めて索敵を繰り返すもとらえることができない。
しかも軽空母とはいえ「祥鳳(しょうほう)」を失ったショックは大きく、イライラが募る一方だった。
そんな中の5月8日朝、偵察機から敵機動部隊発見の一報が舞い込んできた。
さっそく攻撃隊を発進させた5航戦。
しかし、アメリカもそのとき日本の空母の所在をつかんでいた。
  焦りと不満と  レキシントン撃沈  果たして勝てたのか
2015・6・13 ユーチューブ
【海外の反応】 「英国史上最大の敗北」 シンガポール陥落の映像に外国人衝撃
「コメント」
ナシ
 
外国人から多くの投稿が寄せられている。
2015・5・22 産経WEST  園田和洋  【歴史事件簿】
マレー沖海戦(上) 英「プリンス・オブ・ウェールズ」が出撃 迎え撃つ日本軍は偵察誤認の“失態”
マレー沖海戦(下) チャーチル絶句させた英不沈艦撃沈…「大艦巨砲」から「航空主兵」へ、先鞭つけたのは皮肉にも日本だった
「記事内容抜粋」
 (上)
真珠湾のアメリカ艦隊攻撃直前の昭和16年12月8日未明(日本時間)、イギリスの一大拠点・マレー半島に上陸を開始した日本軍を撃滅するためイギリスは新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を中心とした東洋艦隊を出撃させる。
日本側も空と海から英艦隊の行方を追った。
だが、なかなか見つからずイライラ状態が続く中、9日午後、サイゴン沖で哨戒中の伊65潜水艦がついに巨大な戦艦の姿を発見。
直ちに発信された「敵戦艦見ユ」の電文は周辺の基地と艦船を駆け巡った。
  新鋭艦派遣  新鋭艦出撃  交錯する情報  
「記事内容抜粋」
 (下)
3万5千人の兵を乗せてマレーに向かう日本軍の艦船を撃滅するため昭和16(1941)年12月8日夜、シンガポールを出たイギリスの最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を発見した日本海軍機は度重なる攻撃を仕掛けた末、撃沈する。
イギリス首相も嘆かせるほどのあえない最期だった。
日本の完全勝利に終わったこの戦いは、真珠湾攻撃とともに当時、大艦巨砲主義が主流を占めていた世界の軍部を驚かせ、来るべき航空戦時代のきっかけをつくった。
  新鋭艦追撃戦  敵主力見ユ  不沈艦撃沈
中略
この“痛み分け”ともとれる戦いで、空からの護衛を失った日本軍はポートモレスビーの攻略作戦そのものを延期し、破竹の勢いだった進軍はここに止まる。
しかも少数精鋭で連合国との戦いに挑んできた日本海軍航空隊にとって艦載機81機と、長期間の猛訓練で育ててきた大勢のパイロットを失った影響は小さくなかった。
それは、これからひと月後に始まるミッドウェーでの戦いに大きくのしかかってくることになる。  
今尚、マレーシアで讃えられる大日本帝国
2016・9 大好き日本!【あすか】
日本人がマレーシアを救い、国を創った・・・150年の苦しみを一瞬で解放し、アジアに自信と希望を与えた日本軍がマジで凄かった 大好き日本!【あすか】

「コメント」
ナシ
「投稿紹介」
歴史は残酷なもの。
戦勝国の正義のみ伝えられ、敗戦国が行った正義は闇に葬られる。
戦前までアジアはほとんど西欧諸国の植民地だった。
日本軍は西欧に取っては侵略軍。
しかし、アジアの人達にとっては植民地支配から救ってくれた解放軍。
アジアの人達は知っているのに日本人のほとんどが知らない。悲しいことです。
 
※投稿者にお願い、戦勝国・アメリカに正義は無く世界最大の嘘つき国家である事を肝に銘じて欲しい。
世界に誇れる大日本帝国軍
2016・6・22 ZAKZAKby夕刊フジ (1/2ページ)
【世界最強だった日本軍航空部隊】英艦隊壊滅後にみせた日本海軍航空隊の“武士道” 現場海域上空から花束投下

「記事抜粋」
     ★(2)
  《私は独(ひと)りであることに感謝した。戦争の全期間を通じて、これほどの強い衝撃を受けたことはなかった》
英国のチャーチル元首相は戦後、著書『第二次世界大戦回顧録』で、マレー沖海戦の大敗北をこう回想している。
1941年12月10日、英戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」は、マレー半島東岸のクワンタン沖で、日本海軍航空隊85機によって撃沈された。
英東洋艦隊は開戦3日目で壊滅したのである。
この海戦に世界中が震撼(しんかん)したのは、世界で初めて航空機が高速航行中の戦艦を沈めたからだった。
米国は3日前に自ら体験した“真珠湾の悪夢”が、単なる偶然や奇跡でないことを思い知らされた。
マレー沖海戦は、日本海軍のパーフェクト・ゲームだった。
中略
この一戦には知られざる美談がある。
日本海軍航空隊の猛攻を受け、洋上のたいまつと化した「レパルス」に、駆逐艦「バンパイア」と「エレクトラ」が生存者救出のために急行した。
他国軍ならば、この駆逐艦も沈めるが、日本軍はそうではなかった。
日本軍機は、英駆逐艦に以下のように打電した。
  「ワレの任務は完了せり。救助活動を続行されたし!」
次なる標的となった「プリンス・オブ・ウェールズ」が炎に包まれ、駆逐艦「エクスプレス」が生存者救助のため横付けしたときも、日本軍機は攻撃を止めて、その救助活動を助けたのだった。
日本軍人が苛烈な戦場で見せた“武士道”だった。
この正々堂々たる姿勢は、英海軍将兵を感動させた。
海戦後、1機の日本軍機が現場海域に飛来し、海上に2つの花束を投下して飛び去った。
散華した僚機3機の乗員と、最期まで勇敢に戦った英海軍将兵と戦艦2隻に手向けられたものだった。
日本海軍航空部隊は、卓越した技量だけでなく、戦場での紳士度も世界一だったのである。
 
※美談は多い。
大日本帝国は敗戦後、嘘でアメリカから貶められたが、世界で稀な素晴らしい大日本帝国であった。
涙が出るいい話であり、日本人として大日本帝国軍を誇りに思う
2015・7・25 産経WEST (1/5ページ) 園田和洋 【歴史事件簿】 
ミッドウェー海戦(4) わずか数分で「蒼龍」「赤城」など3空母が被弾・炎上…予想外の展開に動揺広がる連合艦隊
「記事内容抜粋」
昭和17年6月、ミッドウェー作戦を展開中の南雲機動部隊は索敵機からの「敵空母発見」の知らせに焦りを隠せない。
島への第二次空襲のため魚雷装着の攻撃機を陸用爆弾に転換中の突然の出現だった。
しかも敵の攻撃機がこちらに向け発艦している最中だという。
第一次攻撃隊を収容しながら再び爆弾から対艦用の魚雷へ転換する機動部隊に残された時間は少ない。
「赤城」以下4隻の空母は必死の作業を続けたが、そこに…。
  ここは「正攻法」で  ここは「正攻法」で  黒煙を上げ逃げ惑う南雲機動部隊  
中略
「飛龍で敵空母を攻撃しようと兵力を結集している最中」とする阿部少将の知らせを聞いたときは、絶望のふちにいた山本大将もわずかながら救われた思いをしたのかもしれない。
そして午前11時、山口少将が「われ、航空戦の指揮を執る」と宣言し、小林道雄大尉指揮の第一次攻撃隊24機がアメリカ機動部隊に向け発艦していった。
 
大日本帝国とアメリカの情報量の差を感じてならない。
日本は今も尚、当時と何ら変わっていない。
記事を読むと暗い気持ちになるのは私だけでは無かろう。
2015・7・23 産経WEST 園田和洋
ミッドウェー海戦(3)狂い始めた歯車…南雲機動部隊の“決断” 「第2次攻撃」要請で迫られる「兵装転換」
「記事内容抜粋」
昭和17年6月、ミッドウェー島上陸作戦を前に島への空襲に向かった南雲機動部隊の母艦機107機は、予想以上に激しいアメリカ軍の抵抗に遭う。
島の上空で待ち構える多数の戦闘機と地上から撃ってくる砲火の嵐…。
この結果、基地を完全に破壊できず、隊を率いた友永丈市大尉は機動部隊に再攻撃を要請する。
だが、機動部隊も度重なる空襲を受け、すかさず迎撃する零式艦上戦闘機(零戦)。
ここに日米最大の決戦の火ぶたが切って落とされた。
  予想以上の抵抗で、島攻撃はままならず  よみがえる「セイロン沖での出来事」  
  ホッとしたのもつかの間「敵空母発見」

中略
先手を取られた赤城の艦橋内で南雲中将と参謀長の草鹿龍之介少将が顔を見合わせた。
すぐに第二航空戦隊司令の山口多聞少将からも 「ただちに攻撃隊発艦の要ありと認む」 の意見が届いた。
山口少将は、島の空襲用に装着した爆弾をつけて甲板上に並ぶ機に可能な限りの零戦の護衛をつけ、アメリカ艦隊を攻撃しようという作戦だった。
2015・7・11 産経ニュース (1/5ページ) 園田和洋 【歴史事件簿】 
ミッドウェー海戦(2)意気揚々と大作戦に踏み切った連合艦隊…戦力で劣る米軍は“亡霊”に頼った
「記事内容抜粋」
昭和17年5月、ハワイ攻略とアメリカ機動部隊の撃滅を狙い、北太平洋・ミッドウェー島に向け出撃した日本海軍。
参加艦船は空母6隻、戦艦は大和など11隻を含む計約300隻。
航空機が約1千機、兵力が約10万人と海軍始まって以来の大作戦となった。
一方のアメリカ側は空母2隻に数隻の重巡洋艦と駆逐艦。
ほかは島の航空隊や守備隊などと数では到底かなうものではなく、まるでトラとネコの戦いのはずだったが…。
  手負いの空母「3日で修理しろ」  突貫工事しながら出撃  「米空母接近」無線封止で伝わらず 
中略
4日、日本の輸送船団がミッドウェーから発進した米軍機の攻撃を受け、アメリカ側に今回の行動が知られたことに気づく。
だが、ミッドウェー島の北西約460キロまで迫った南雲機動部隊は5日、「敵の空母はいない」という認識のもと、7日の上陸を目指して島を爆撃する108機を発進させる。
大和の思惑は外れ、南雲部隊は東約400キロにアメリカの空母がいることにまったく気づいていなかったのだ。
空一面が灰色の空に覆われた重苦しい朝だった。
 
大日本帝国は情報を大事に扱わず、自ら敗戦へと向かったのであろう。
2015・7・4 産経ニュース (1/4ページ) 園田和洋 【歴史事件簿】 
ミッドウェー海戦(1) 解読された暗号、軍部の奢りで情報がアメリカに筒抜け
「記事内容抜粋」
昭和17年5月、日本海軍機動部隊は南太平洋・珊瑚海(さんごかい)でアメリカと繰り広げた史上初の空母対決が痛み分けに終わると、息をつく暇もなく北太平洋のミッドウェー島の攻略作戦に乗り出した。
4月に東京がアメリカ空母から発進した爆撃機の空襲を受けたため、急いで防衛線を築き敵空母壊滅の必要性に迫られたからだ。
このため珊瑚海で損傷を受けた2隻の空母の復帰を待つことなく、「4隻の空母」 を中心とした艦隊はミッドウェーに向かっていった。
  帝都空襲  目標は基地か空母か  ずさんな情報管理  
中略
これで目標を一点に絞ることが可能になったアメリカ軍ではあった。
とはいえ5月27日、珊瑚海海戦でダメージを受けて真珠湾に戻ってきた空母「ヨークタウン」の修理に3カ月はかかることで、なかなか埋めることができない日本との戦力差に苦心する。
ちょうど同じ日、海軍記念日を迎えた日本側は、第一航空戦隊の「赤城」「加賀」と第二航空戦隊の「飛龍(ひりゅう)」「蒼龍(そうりゅう)」の空母4隻が広島・柱島から、ミッドウェーに向けて意気揚々と出撃していった。
 
日本は戦前、戦中、戦後を通じ情報管理がなっていない愚かな国である。
日本は現代、日本の敵国とも言えるシナ、韓国、北朝鮮のやりたい放題、日本政府は集団的自衛権に邁進しているが、これだけで日本を守れると考えているのだろうか?
2015・3・17 ユーチューブ 
ミッドウェー海戦 敗北が語る日本の弱点 (2012年)
「投稿紹介「
戦争に限らず、政治や経済もそうですが情報収集能力の無さは今の日本にも通ずるものがありますね。
武力での戦いこそ無く平和ボケしている日本ですが、戦いは今も存在しているんじゃないでしょうか…。
 2016・1・8 産経WEST (1/5ページ) 園田和洋 【歴史事件簿】
南太平洋海戦(中) 「頼むぞ」甲板から飛び立つ攻撃隊63機を見送る南雲中将 ガダルカナルの日米決戦いよいよ佳境に
南太平洋海戦(上) 「俺が大和で…」焦る山本五十六 日本軍に立ちはだかったレーダーとヘンダーソン飛行場 2015・12・31
「記事内容抜粋」
 (中)
昭和17年10月、ソロモン諸島・ガダルカナル島のアメリカ軍ヘンダーソン航空基地をめぐり激しい争奪戦を展開する日米両軍。日本海軍は戦艦などの砲撃でダメージを与えるが、そのたびに回復し、攻撃機を繰り出すタフネスさに有効策を見いだせなかった。
そこで大規模な陸上戦で占領する以外にはないと、22日の陸軍第17軍の総攻撃の支援目的に空母5隻の機動部隊を派遣。そして島の近海を警戒中の、あの猛将率いるアメリカ機動部隊と全面対決の日を迎えた。
  ちくはぐな陸海連係  いらだつ日米両軍  米空母、発見  
中略
攻撃隊長は真珠湾攻撃以来、数々の戦いをくぐり抜けてきたベテランの村田重治少佐。
「頼むぞ」と帽子を降る艦の幕僚らに、コクピットから敬礼をして応える村田少佐の姿を南雲中将は最後まで見送った。
 (上)抜粋記載せず、記事参照
2015・6・7 産経ニュース
戦没者遺骨返還、軍が断念 ガダルカナル撤退後、日露以来の方針転換 昭和18年、次官が見解
「参考記事」
用語解説・ガダルカナル島の戦い
昭和17年8月、米軍に占領された飛行場の奪還を目指し、日本軍はガダルカナル島に上陸。
激しい戦いが繰り広げられたが、日本軍は補給が途絶えて次第に密林に追い詰められ、翌18年2月7日に完全撤退した。
ガ島では約2万1900人が戦死したが、半数が餓死だったとされる。
厚生労働省によると、昭和29年度以降、政府による遺骨収集が行われているが、6900人分が今も未収容となっている。
2013・1・1 ユーチューブ 重要
日本とアジアの大東亜戦争─侵略の世界史を変えた大東亜戦争の真実
「コメント」
吉本 貞昭 著 ハート出版 (「はじめに」より)
もっと日本が好きになる・親子で読む近現代史シリーズ
15世紀から500年も続いた、西欧列強による植民地支配。
この、白人による植民地支配に従わない国が、極東にひとつだけあった。
それが、わたしたちの祖国、日本である──。
教科書には書かれていない、「本当の歴史」が、ここにある──なぜ戦争は始まったのか。
本当に勝利したのは誰なのか。
この一冊で、「大東亜戦争」のすべてがわかる!
2015・9・4 産経WEST (1/5ページ) 園田和洋 【歴史事件簿】
第1次ソロモン海戦(上) 作戦名「殴り込み」 ガダルカナル奪回狙い、得意の“夜戦奇襲”仕掛ける
「記事内容抜粋」
昭和17年6月、ミッドウェーで主力空母4隻を失った日本海軍は、これから予想される連合国の反攻を食い止めるのと同時にオーストラリアの孤立化を狙い8月、南太平洋・ソロモン諸島の一角、ガダルカナル島に航空基地を完成させた。
だが、これに危機感を抱く連合国が派遣する1万9000の兵に占領される。
以後、兵と物資を上陸させる連合国軍。
これに対し、基地の早期奪回に執念をみせる日本も攻撃機と艦隊を急行させた。
  占領された飛行基地  第8艦隊出動  突然の閃光(せんこう)と雷撃  
中略
突然に浮かび上がった両軍の艦艇。
あまりの至近のために驚く連合国の一瞬の隙をついた日本艦隊から砲撃が起き、「鳥海」から発射された魚雷は巡洋艦「キャンベラ」に命中し、大きな火柱があがった。
2015・7・11 産経新聞  塩塚保
【戦後70年 大戦を生き抜いた男】ソロモン諸島防衛 地獄の戦場だった 千葉
「記事内容抜粋」
昭和17年12月、駆逐艦「不知火(しらぬい)」の若き乗組員だった石黒隆一(94)=習志野市=は防空隊員として輸送船に乗り込み、南洋のソロモン諸島に向かった。目的地はガダルカナル島。
日米両軍が死闘を展開していた。
日本軍は補給線を断たれ、苦戦。
石黒たちの部隊は援軍に向かうことになった。
途中、ラバウルに立ち寄り、正月を迎えた。
出撃準備を整えて出港直前、命令が変更された。
  -ブーゲンビル島周辺の守備につけ。
ソロモン諸島最大のこの島で、陸海軍は数万人の大部隊を展開していた。
中略
闇夜だった。
迎えの飛行艇が湾に着水した。
石黒ら12人が慌ただしく乗り込むと飛行艇は飛び立った。
  「夜が明けた。眼下に美しい紺碧(こんぺき)の海が広がる。極楽のようじゃった。地獄の戦場から生きて還った」
だが、石黒はさらなる地獄を体験することになる。
 
安保法制せさえままならない平和ボケした日本では、哀しい事だがこの話、単なる昔話にしか捉えられないだろう。
カイロ会議
1943・11・22~1943・12・1 エジプトのカイロで行われたカイロ会議は、アメリカ(ルーズ・ベルト大統領)、チャーチル(大英帝国)、シナ(蒋介石)の三カ国首脳会談である。
この頃、大日本帝国と蒋介石共に休戦や単独講和を考えていた。
ルーズ・ベルトは、蒋介石の参加を嫌がるチャーチルを説得、大日本帝国と蒋介石の引き離しに一計を図ったのがカイロ会議である。
ルーズ・ベルトは、蒋介石が大日本帝国と休戦協定を結び単独講和をし抗日戦を断念し、連合国から戦線離脱するのを阻んだのである
ルーズベルトは、米英の巨頭に加え、台湾の返還、常任理事国入りさせ激励、蒋介石を祭り上げ士気を高めたと言われている。
12月1日 カイロ会議の内容は 「カイロ宣言」 にある。
蒋介石は会談で、ルーズベルトの問いに答え、「天皇制」 の存廃は日本国民自身に決定に委ねるべきだと論じた。
米国が起草した宣言案を英国が修正し、日本の無条件降伏と、満州・台湾・澎湖諸島の中国への返還、朝鮮の自由と独立などに言及した宣言である。
カイロ宣言の対日方針は、その後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された。
重要な台湾の主張
2009年 無署名のものに対して 「宣言」 としていること自体が誤りであり、ポツダム宣言の第8条 「カイロ宣言の条項は履行すべき」 の部分は無効であるとの指摘している。
2015・2・27 ユーチューブ 
日本側が撮影したレイテ沖海戦!神風特別攻撃隊もここから始まった!~Battle Of Leyte Gulf
レイテ島の戦い 貴重な映像 (モノクロ)
「コメント」
大東亜戦争後期の昭和19(1944)年10月23日から、同25日にかけてフィリピン及びフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍とオーストラリア海軍からなる連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称が「レイテ沖海戦」である。
大東亜戦争の結末
大東亜戦争終盤を迎え大日本帝国本土への無差別攻撃が開始された。
アメリカ・日本本土攻撃時系列 アメリカの攻撃内容
1944 アメリカ軍による東京始め各地方都市への空爆による無差別攻撃、開始
1945・2・19~3・26 硫黄島の戦い、玉砕
1945・3・26~6・23 沖縄決戦
1945・7・20 午前8時頃 アメリカ軍は、福島県福島市国見町に原爆投下訓練のため、長崎原爆と同じ形状の 「模擬原爆」 を投下 死者もでている
日本各地に投下 (詳しくは大東亜戦争2015・4・6・毎日新聞記事あり)
1945・8・6 アメリカ軍が広島に原爆投下  種類の異なる原爆使用
1945・8・9  アメリカ軍が長崎に原爆投下  種類の異なる原爆使用
1945・8・9 日ソ不可侵条約を一方的に破棄、満州国、樺太、千島・北方領土に侵攻
1945・8・14 大日本帝国ポツダム宣言受諾をアメリカに通知
1945・8・15  天皇陛下が 「玉音放送」 でアメリカに降伏した旨、国民に告げた。
1945・9・2 大日本帝国は降伏文書に調印、終戦を迎えた。
大日本帝国は、民族差別撤廃とアジア解放を求めて欧米強と大東亜戦争を戦い、アメリカ戦だけに敗れた。
この頃、世界は白人国家による植民地政策で奴隷大日本帝国の勇気に固唾を飲み注目していた。
が、「有色人種でもやれば出来る」と世界に独立の機運が高まり、多くの国々が欧米列強から独立を果たす結果を齎した。
「植民地解放・人種差別撤廃」 の錦の御旗を掲げ戦い、今靖国神社に眠る多くの日本人(台湾人・朝鮮人)の英霊達が、一命を賭して日本帝国を守ろうと戦った大東亜戦争の使命だけは果たしたのである。
大日本帝国が戦った大東亜戦争は、アメリカとシナ、韓国、北朝鮮以外の世界の多くの国々から称賛され、今尚感謝され続けているのてある。
大日本帝国は戦後、不幸な出来事も多く険しい道を歩むのであるが、日本の戦後で詳しく掲載する。
創意工夫を重ねた大日本帝国軍
2016・6・23 ZAKZAKby夕刊フジ (1/2ページ)
【世界最強だった日本軍航空部隊】B29爆撃機を485機も撃墜した本土防空部隊

「記事抜粋」
     ★(3)
1942年4月に新たに編成された日本陸軍「飛行第244戦隊」は、東京・調布基地を拠点に帝都防空戦に大活躍した精鋭部隊である。
保有機は40機の三式戦闘機「飛燕(ひえん)」だった。
この部隊に44年11月、24歳の小林照彦大尉が戦隊長として着任した。
小林氏は後に、B29爆撃機10機を含む、敵機12機を撃墜した「本土防空戦のエース」となる。
同隊は翌12月、B29の大編隊を迎え撃ち、6機撃墜・2機撃破の大戦果を上げた。
このとき、四宮徹中尉は、B29への体当たり攻撃で片翼をもぎ取られながらも無事帰還した。
中野松美伍長は、B29の真上に張り付く“馬乗り”の姿勢で、B29の胴体をプロペラで切り裂いて撃墜し、生還した。
板垣政雄伍長も、最後尾を飛んでいたB29に体当たりして帰還した。
この日の武勲により、空対空特別攻撃隊は「震天制空隊」と命名された。
その名の通り、B29の乗員を恐怖に陥れる一方、日本国民の戦意を高揚させた。
中略
戦争末期の日本は、7000~9000メートルの高高度を大挙して押し寄せるB29に手も足も出せなかった-という話が横行しているが、そうではなかったのだ。
帝都上空では、飛行第244戦隊が立ちはだかった。
戦後、前出の小林氏や、専任飛行隊長の竹田五郎大尉、B29を5機撃墜・7機撃破した撃墜王、生野文介大尉など、本土防空戦に活躍した面々は、航空自衛隊でも本土防空を担った。
ちなみに、竹田氏は1976年9月、ソ連のベレンコ中尉が亡命を求めてミグ25で函館空港に飛来したときの北部航空方面隊司令官だった。
このとき的確に対処できたのは、かつての本土防空戦の経験からだろう。
竹田氏はその後 第14代航空幕僚長となり、さらに自衛隊制服組のトップとなる第12代統合幕僚会議議長を務めている。
戦後の日本の空も、飛行第244戦隊の精鋭によって守られていたのであった。
2015・5・26 産経ニュース 共同 日本人であれば何か感じるハズ
「一瞬で死ねたら…」 被爆死米兵、故郷で追悼式 広島で収容の捕虜
「記事内容抜粋」
広島に原爆が投下された1945年8月6日、米兵捕虜として広島市内で収容されていたために被爆し、約2週間後に死亡した米海軍艦載機の搭乗員ノーマン・ブリセットさん=当時(19)=らを悼む式典が25日、ブリセットさんの故郷、米東部ボストン北郊ローウェルで行われた。 
ブリセットさんは米空母タイコンデロガの艦載機で銃撃手を務めていた。
45年7月28日、広島県呉市付近の日本海軍艦艇への攻撃作戦中、搭乗機が損傷して海に不時着。
被爆時には広島城近くで収容されていたとみられ、放射線の影響で同8月19日、収容先の陸軍病院で死亡したという。 
妹のコニー・プロベンシャーさん(81)は「一瞬で死ねたら良かったのに、嘔吐を繰り返して苦しんだ」と兄の悲劇を振り返り目頭を押さえた。
 
日本人だからこそ原爆症に侵されながらも生き長らえたと思うのだが・・・アメリカ人は己の悲劇を語るだけで、日本人の多くの非戦闘員大虐殺に付いて何も感じず、何も思わないのだろうか?・・・このニュースは何を伝えたいのか?
ポツダム宣言・日本政府は国民を嘘で騙した
2015・6・6 ZAKZAKby夕刊フジ ケント・ギルバート 大注目
【ニッポンの新常識】「ポツダム宣言受諾は無条件降伏だ」と言い張る議論は空論
「記事内容抜粋」
前回はポツダム宣言について書いた。
ポツダム宣言は条件を明示して、米国と英国、中華民国が日本政府に降伏を勧告した文書だ。
日本は条件を飲んで降伏した。
それでも「ポツダム宣言受諾は無条件降伏だ」と言い張る議論をいくつか読んだが、すべて空論だった。
昭和20(1945)年9月2日、日本はポツダム宣言で示された「降伏条件」を前提に、戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した。
しかし、GHQ(連合国軍総司令部)最高司令官マッカーサー元帥は、自分の占領政策が降伏条件に縛られることを嫌い、トルーマン大統領に直訴した。
トルーマン大統領は9月6日、「ポツダム宣言は双務的な拘束力を持たない」と言い放ち、「日本との関係は無条件降伏が基礎である」と明記した指令文書をマッカーサーに送った。
日本は条件付きで降伏したはずが、トルーマン大統領は「日本は無条件降伏だ」との主張を突然始めたのだ。
日本軍は完全武装解除した後だから、何も抵抗できない。
この経緯は、国立国会図書館のウェブ資料で読める。
この米国側のだまし討ちを隠すために、GHQは「ポツダム宣言受諾=無条件降伏」という洗脳を始めたのだろう。
中略
日本人は正直で誠実、正義を重んじ、嘘を嫌い、潔さを好み、恩義を忘れず、つらい過去を水に流せるからだ。
ただし、大国同士の外交の場面で「正直」や「誠実」が通用するのは日米間だけだと思う。
日本人はこの悲しい現実も忘れてはならない。
 
日本人の性が時として仇となす。
シナ、韓国、北朝鮮である。
アメリカが含まれるかどうかは分からないが、日本人は世界で最も素晴らしい人間性を持つ民族である事に違いない。
2015・5・30 ZAKZAKby夕刊フジ (1/2ページ) ケント・ギルバート 大注目 
【ニッポンの新常識】ポツダム宣言は「無条件降伏」ではない 日本政府は条件付きで降伏した
「記事内容抜粋」
安倍晋三首相(自民党総裁)と、日本共産党の志位和夫委員長との党首討論がきっかけで注目された「ポツダム宣言」の英文と日本語現代語訳を、久しぶりに読んでみた。
申し訳ないが、数カ所で笑ってしまった。
例えば、第10条の後半だ。
  「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである」とある。
終戦後、徹底した検閲を通じて日本のマスコミを管理し、虚偽の報道で日本人に贖罪(しょくざい)意識を植え付けた側が、宣言では日本政府に「言論の自由を確立しろ」と命じているのだ。
GHQ(連合国軍総司令部)は「プレス・コード」で報道機関を統制した。
露骨な二重基準には笑うしかない。
日本人がポツダム宣言受諾を「無条件降伏」と呼ぶのも大間違いだ。
中略
さらに言えば、日本国のために尊い命をささげた英霊を祀る靖国神社への参拝に反対する政治家が、安全保障関連法案の審議では、自衛官のリスク増大を反対理由にしている。
軍人や自衛官への感謝や敬意を示しているとは思えない彼らの、偽善的態度とご都合主義にはあきれるしかない。
 
始めてアメリカ人の意見を聞いた。
日本は戦後、日本政府は国民に嘘の教育を行ったのである。
ケント・ギルバートが覚醒した様たが、理由は?
大日本帝国の戦い
勇猛果敢に戦った台湾人・高砂族
ニューギニア戦線

2013・9・19 ユーチューブ  
注目 台湾人に尊敬と感謝!
多くの日本兵を救った精強「台湾高砂族」─日本の南洋戦略10
「コメント」
ココダ 遙かなる戦いの道 ニューギニア南海支隊・世界最強の抵抗
 
勇猛果敢に戦い日本人から英雄とされている台湾人の活躍、台湾人兵と朝鮮人兵との違い、崇高な精神力を持つ台湾人の勇気果敢な姿が動画に残されている。
20108・3・24 ユーチューブ  日本人は決して忘れない 
誇り高き高砂族に涙した日本兵「彼の前でこの握り飯は食べられない…」
「コメント」
日本人と共に戦った「高砂族」※台湾人 その壮絶な死に様に涙した日本兵
日本軍の兵士として戦った、台湾の高砂族(タイヤル族)の兵士達の物語。
2013・9・13 ユーチューブ
ニューギニア・ソロモンで激しい航空戦を戦い抜いた零戦パイロット─日本の南洋戦略8
「コメント」
中国は"尖閣"だけじゃない! 覇権国家〈中国〉が狙う南洋の巨大資源地帯!  豊富な天然資源の確保と安全保障における主導権をめぐり、南太平洋で急激に覇権を拡大しつつある国、中国。
近い将来、必ずや日本の〈生命線〉となるこの地域で、我々はこの〈脅威〉に、どう立ち向かうべきなのか―
いま、南洋の"親日国家"が危ない "日本の生命線"を包囲する中国の影!
海洋国家・日本の復活――これが、日本の「新・南洋戦略論」だ!  太平洋における覇権確立を目指して強気を崩さない中国。
かつての影響力を失いかけている旧宗主国オーストラリアと超大国アメリカ。
そして、これからの鍵を握る資源大国パプアニューギニア。
日本は、今こそ「海洋国家」として復活し、日米豪による新たな「ジャンザス体制」を構築して、「日本の裏庭」南太平洋の安全保障体制を維持すべし。
2014・12・2 ユーチューブ 
「アンブロークン」の内容を一蹴した日本海軍の歴戦の搭乗員たち
「コメント」
アンジェリーナ・ジョリー監督の映画「アンブロークン」の原作本には、太平洋を救命ボートで漂流していた主人公のザンペリーニ氏たちを、日本の爆撃機が執拗に機銃掃射し、爆弾まで投下したという記述がある。
それについて、日本海軍の歴戦の搭乗員にお二人にお話を伺った。
お一人は岩崎嘉秋氏。
岩崎氏は昭和16年12月10日、機長として九六式陸上攻撃機を駆ってあのマレー沖海戦に参加、逃げ回るイギリス東洋艦隊の戦艦「レパルス」に対し、高度3000メートルからの水平爆撃で見事爆弾を命中させた経験を持つ方である。
もう一人は、元帝国海軍戦闘機搭乗員の本田稔氏だ。
本田氏は、零式艦上戦闘機を駆ってマレーからラバウル、ニューギニア、ガダルカナル、フィリピンなどを転戦して何十機もの敵機を撃墜、最後は最新鋭戦闘機「紫電改」を駆って本土防空戦に参加、F6Fヘルキャット戦闘機やP51戦闘機と渡り合い、あのB29爆撃機をも撃ち落とされた方だ。
戦後は航空自衛隊に入隊してジェット戦闘機のパイロットとなり、その後は三菱重工で定年までテストパイロットを務められた。
ビルマ戦線
2008・3・24 ユーチューブ 
ミャンマーで大東亜戦争はどのように教えられているのか
「コメント」
日本のマスコミが伝えない大東亜戦争の真実。
インド戦線
2013・6・8 ユーチューブ 
インパール作戦は終わらない【果たされたインドとの約束】
「コメント」
インパール作戦という言葉を知っている大抵の人は、「補給を無視して大勢の日本兵を死なせた愚かな作戦」、「指揮した牟田口中将は愚かな軍人」と頭に浮かんでしまうと思います。
しかし、マスコミなどが伝えるインパール作戦は、大切な情報が意図的に削られています。
「よくわからないけどインパール作戦は愚か」日本人にこのような連想をさせるように必死になっているのです。
反日勢力が戦後の日本人を洗脳するのには、インパール作戦の真実は邪魔になるのです。
新聞・テレビや戦後に出されたインパール作戦を扱った多くの「歴史小説」や「戦記」には、この作戦がインド国民軍との協同作戦であることや、インドの独立に多大な影響を与えたということが描かれていません。
さらに、敗因に関して牟田口将軍一人の責任にするのは決して公平な見方ではありません。
日本の「戦史」やインパール作戦に対する英国やインドの意見にも耳を傾け、真実の歴史を探求しましょう。【拡散希望】
この動画をインパール作戦に参加されたすべての将兵の方々に捧げます(otakesan22)
-参考文献-
 ①防衛庁防衛研修所戦史室:戦史叢書 インパール作戦-ビルマの防衛,朝雲新聞社,1968
 ②大田嘉弘:インパール作戦-ビルマ方面軍第十五軍敗因の真相,ジャパンミリタリーレビュー,2008
 ③藤原岩市:F機関,原書房,1966
 ④東條英機刊行会・上法快男:東條英機,芙蓉書房,1974
 ⑤産経新聞社:あの戦争 太平洋戦争全記録 中,集英社,2001
インパール作戦
2014・11・5 ユーチューブ 
【奥山真司】 米軍関係者 朝鮮を統治していた日本はクレイジー!俺達には絶対無理w 2014/11/05
「コメント」
インパール作戦で戦った大英帝国軍兵士が来日、インパール作戦で対戦した大日本帝国皇軍兵士と会い、勇敢に戦った相手を共に讃えあった。
靖国神社も訪れ参拝した。
2014・4・18 ユーチューブ チャンネル桜 
【大和魂】インパールの優しい日本兵「逃げ道教えてくれた」インド人の古老語る!
「コメント」
井上和彦さん解説。「日本兵はインドのために戦ってくれた」と記憶にとどめるインド人の古老が語った。
インパール南西の村ロトパチンにある丘「レッド・ヒル」でイギリス軍と日本軍が戦っている時、日本兵は一般人であるインド人を手ぶりで逃げ道を教えていた。
「自分が死ぬかもしれないのに、なぜ優しいのか?」と逃げながら思ったという。
2013・11・6 ユーチューブ 
学校が教えない、日本がインドから愛される誇るべき理由
「コメント」
へんまもさんが、学校が教えない、日本がインドから愛される誇るべき理由について語っています。
学校では反日教育の結果、「大東亜戦争では日本が悪だった」と殆どの日本人は認識しています。
しかし、それはアメリカの都合のいい刷り込みであって、日本のおかげでアジアの国々は独立に成功しています。
多くのアジア諸国は日本に感謝し、今でも親日国家として友好関係を維持しています。
インドもその内の一つです。
日本人の自虐史観は思い込みであって、本当はとても素晴らしい国だということを知ってもらいたいですね。
内容が素晴らしいので、是非多くの日本人に聞いてもらいたいです!
2015・3・1 産経ニュース (1/4ページ))  大日本帝国史上重要 唯一の日印共同作戦   
インド国民軍創設の背景に日本の第五列組織「KAME」
「記事内容抜粋」
  世界有数のインテリジェンス  戦わずに兵投降
中略
パレンバン攻略  
前年3月、杉山元・陸軍参謀総長から、パレンバン攻略計画策定のための情報収集を命じられた陸軍中野学校幹事(教頭)、上田昌雄大佐は、家族に「暫(しば)らく蘭印(オランダ領インドシナ=現在のインドネシア)へ行く」と言い、偽名で数カ月出張した。
すでに新聞記者などの身分で潜入していた2人の中野学校の教え子と現地調査し、帰国後、参謀総長に「地上戦で時間を費やせば石油施設を破壊されるおそれがある。
無傷で奪取するには落下傘部隊による急襲を最善策とする」と意見具申した。
これが採用され、空挺(くうてい)部隊が編成され、同年10月から極秘訓練が行われた。つづく
  ■外務省主任分析官、作家 佐藤優氏「現地人の目的と国益一致」
中略
■元ニューヨーク・タイムズ東京支局長、英国人記者 ヘンリー・S・ストークス氏「独立の手助け行った日本」
「『第五列』活動が成功したのは、日本軍の侵攻が、植民地となったアジア諸国を欧米の帝国主義から解放し、独立に導くものだったからだ。
日本軍はアジアを占領するために暴走したのではない。
日本は植民地となった人々に教育や軍事訓練を行い、独立の手助けを行った。
日本軍の支援を受け、インド国民軍の司令官となったチャンドラ・ボースは 『日本がアジアの希望の星だ』 と語り、日本に感謝した。
マレーシアやシンガポールも同じだ。
アジアを白人支配から解放する目的があったからこそインテリジェンスが成功し、英国軍はなすすべもなく降伏したといえる」
 
※大日本帝国は初めてにして最後だがインドとタッグを組み連合軍(イギリス)と戦った唯一の作戦である。
2015・1・7 ユーチューブ 
【戦争感動秘話】インドとパキスタンの戦争で唯一銃声が鳴りやんだ理由
「コメント」
かつて、これ程までに感動する外国との戦闘があったでしょうか? もちろんこれは「戦争」を賛美するために作った動画ではありません。
2010・9・19 ユーチューブ 
北部ビルマ 密林に倒れた最強部隊 菊兵団 1/6
北部ビルマ 密林に倒れた最強部隊 菊兵団 2/6
北部ビルマ 密林に倒れた最強部隊 菊兵団 3/6
北部ビルマ 密林に倒れた最強部隊 菊兵団 4/6
北部ビルマ 密林に倒れた最強部隊 菊兵団 5/6
北部ビルマ 密林に倒れた最強部隊 菊兵団 6/6
「コメント」
福岡県、久留米で編成された陸軍第十八師団、菊兵団。
最強を誇った師団はなぜ、ビルマ北部で壊滅的な敗退に追い込まれたのか。
その軌跡をたどる。
 
多分NHKが製作したと動画と思うのだが、狙いを考えて観る必要があるあると思うのだが・・・
2014・10・30 ユーチューブ 
【感動】涙なしでは見られない戦時中に起きた感動の物語
「コメント」
ナシ
2015・3・4 産経新聞 シンガポール=吉村英輝 
MS共同創業者「戦艦武蔵を発見」、比の海底1000メートル
「記事内容抜粋」
【】米マイクロソフトの共同創業者で資産家のポール・アレン氏は3日までに、太平洋戦争で撃沈された戦艦武蔵の船体をフィリピン中部シブヤン海の海底で発見したと、短文投稿サイトのツイッターで明らかにした。
水深約1000メートルの海底で同氏の潜水調査機が見つけたという。
掲載された船首とみられる写真には、「菊(の紋章)と巨大な錨(いかり)」と説明がついているほか、バルブの写真では「開」「主」などの文字が確認できる。艦載機射出機などの映像も公表するとしている。
海洋安全保障の研究などを行う公益財団法人「水交会」(東京都)は、武蔵の船体発見は「聞いたことがない」とし、関係者による映像の確認が必要とした。
武蔵は昭和19年10月24日、シブヤン海で米軍機の攻撃を受け沈没。
乗員約2400人中、猪口敏平艦長以下約1000人が死亡した。
2013・6・8 ユーチューブ 
インパール作戦は終わらない【果たされたインドとの約束】  
「コメント」
インパール作戦という言葉を知っている大抵の人は、「補給を無視して大勢の日本兵を死なせた愚かな作戦」、「指揮した牟田口中将は愚かな軍人」と頭に浮かんでしまうと思います。
しかし、マスコミなどが伝えるインパール作戦は、大切な情報が意図的に削られています。
「よくわからないけどインパール作戦は愚か」日本人にこのような連想をさせるように必死になっているのです。
反日勢力が戦後の日本人を洗脳するのには、インパール作戦の真実は邪魔になるのです。
新聞・テレビや戦後に出されたインパール作戦を扱った多くの「歴史小説」や「戦記」には、この作戦がインド国民軍との協同作戦であることや、インドの独立に多大な影響を与えたということが描かれていません。
さらに、敗因に関して牟田口将軍一人の責任にするのは決して公平な見方ではありません。
日本の「戦史」やインパール作戦に対する英国やインドの意見にも耳を傾け、真実の歴史を探求しましょう。【拡散希望】
この動画をインパール作戦に参加されたすべての将兵の方々に捧げます(otakesa­n22)
 
これが日本とインドの絆である。
大東亜戦争には美談が多いが、他の戦争に美談があるだろうか? これが
大日本帝国軍人の真の姿である。
2006・9・16 ユーチューブ 
Imphal operations インパール作戦
08 インパール作戦  :太平洋戦争がタイトル (上下で比較して見て欲しい)
「コメント」
ナシ
 
インパール作戦は、北部ビルマで戦う菊兵団が犠牲にされ、武器弾薬をインパール作戦に投入した。
2014・3・10 ユーチューブ 
ペリリュー島 終わりなき持久戦
ペリリューの戦い PELELIU WAR1-7
「コメント」
永遠の記憶・・・・・
2015・3・1 産経ニュース (1/3ページ) 編集委員 岡部伸  【戦後 70年】
マレー作戦「日本、完璧な諜報」 英秘密文書「最悪の降伏」分析
「記事内容抜粋」
第二次大戦で「東洋のジブラルタル」といわれたシンガポールが日本軍によって陥落して73年。
チャーチル英首相が「英国史上最悪の降伏」と嘆いた作戦の背景に、「第五列」など「完璧な諜報活動」があったと、英国側が分析、評価していたことが英国立公文書館所蔵の秘密文書で判明した。
事前に地理や軍事力の情報を収集し、植民地支配から現地人を独立させるため、支援して協力させていた。
戦前の日本のインテリジェンス(諜報)能力が高かったことが改めて浮き彫りとなった。 
「マレーにおける日本のインテリジェンス活動」(KV3/426)によると、英国の防諜機関のシンガポール支部は、日本が情報収集活動を本格化させた1940年7月に報告書で「日本はマレー半島、とりわけシンガポールで完璧な諜報活動を展開している。
精巧な組織が存在しているとは聞かないが、国を挙げてかなり発達した諜報組織を持っている」と警戒していた。
インドネシア戦線
2011・9・3 ユーチューブ 
オランダに350年支配されてたインドネシアを、日本軍が9日間で解放
「コメント」
『さて左翼はよく「アジア解放なんて後付けだ!」と主張するけどそれがなんなんだろう?? 自国防衛のつもりで、インドネシアにてオランダ軍を追い払ったら、現地インドネシア人達が感謝してくれただけだ。日本の防衛戦争が、アジア解放にも繋がってる事を、途中で気付いたんだよ。それのなにが悪いんだか・・・ 』
八紘一宇は大東亜戦争前からの日本の国是でした。なので、国際連盟に人種差別撤廃を最初に提案したのは日本でした。
杉原さんも東条閣下もユダヤ人を助けました。
インドネシアにペタという組織を作って軍事訓練もさせました。
ただ支配するために攻撃したなら、ここまでするか? 足りない頭でよく考えろ、ブサヨめ!!
硫黄島玉砕の影に・・・
2010・10・19 ユーチューブ ルーズベルトに与える書 
重要 日本人必見! 
「ルーズベルト大統領への手紙」 市丸海軍少将
「コメント」
市丸利之助少将は硫黄島の地熱50度,硫黄ガスの噴出す塹壕の中で当時の米国大統領ルーズベルトに和英両文(現代訳)の遺書を残して戦死し(英文はハワイ出身の三上弘文兵曹による),その後遺書は預かって戦死した通信参謀村上治重大尉の腹巻の中から発見され,昭和20年7月米国にて公表された。
文書は自分の死,部隊の全滅を目前に,実に的確に戦争への経過,当時の社会,軍人,日本の立場を表現しており,米国を論理的に非難もしている貴重なものと思う。
 
この時代にアメリカ(白人)の世界戦略を的確に戒めている硫黄島で書き残した素晴らしい遺書である。
この遺書こそ大日本帝国がアジア解放を求め大東亜戦争を戦った証である。
大日本帝国は、大東亜戦争を戦った理由、天皇陛下の思い、大和民族の思い、白人の人種差別、世界平和への願いが見事に認められている。
市丸利之助少将は、死を目前に控え、これ程崇高な遺書が書けたのだろうか? 日本民族の誇りなのか? 少将は大東亜戦争の意義と目的を持ち使命と考え、戦争に臨んでいたのであろう。
願いが叶うなら、この遺書を世界各国の言語に訳し世界に公開して欲しいものである。
日本民族は今、市丸利之助少将の誇りある大日本帝国皇軍軍人の大和魂を忘れず、誇りを失ってはならない。
2012・6・15 ユーチューブ 
日本人が知っておきたい戦争の真実Part.Ⅰ
日本人が知っておきたい戦争の真実Part.Ⅱ
「コメント」
日本人なら一度は聞く戦争の話。
さてあなた方はその戦争を一体どこまで掘り下げて理解しているのでしょう?
この動画をみて何か感じることがあれば幸いです。
戦後日本はホントに正しい歴史教育を受けてきたのでしょうか? 
もしかして誰かに遠慮した教科書ではなかったですか?
2010・7・13 ユーチューブ 
太平洋戦争 壱 カラー
太平洋戦争 弐 カラー
「コメント」
ナシ
 
この動画の間違いを指摘しておく。
日本人がナレーションを務めているが、主語が違う。
どっちを向いて作成したか動画を見れば分かる。
題目:大東亜戦争の一部のアメリカ戦を太平洋戦争と変えている。
大日本帝国の真珠湾攻撃を 「真珠湾が被害を受けた」 とナレーションが流れている。
大日本帝国がシナへの侵略とある。
天皇陛下を蔑ろにしている。
大日本帝国は、アジアを征服したのではなく、アジアの解放を目指し戦ったのである。
大日本帝国の事実を知っていれば、自虐史観そのものプロパガンダ映像、ナレーションの嘘が分かり、嫌な思いをする動画である。
この映画を何処が製作したのか? 暴く価値がありそうである。
2015・3・8 沖縄タイムス   【戦後70年~沖縄戦】 
社説[地に刻む沖縄戦 僕ら少国民]消えた授業 失われた命
「記事内容抜粋」
戦時体制下の学校教育の再編によって1941年、尋常小学校が国民学校へと改められると、子どもたちの生活は一変した。教育は愛国心を育てることに力を注ぎ、行事は軍国調一色に染まる。
学校から通常の授業が消えていった。
山原の自然に囲まれた村の子どもたちも例外ではなかった。
大宜味村喜如嘉国民学校の様子を「喜如嘉の昭和史 村と戦争」(福地曠昭著)が克明に記録している。
「国民精神総動員運動の一環として毎月8日を『大詔(たいしょう)奉戴日(ほうたいび)』と定め、戦争協力の行事がとり行われた。校門には大きな国旗が掲げられ、校長が詔書を奉読し、全校生徒で『海ゆかば』を斉唱した」
「紀元節」「天長節」といった儀式が重視され、「戦没勇士墓地清掃」「食糧増産作業」などの奉仕活動が授業に組み込まれた。
70年前の45年3月1日、いよいよ空襲が激しくなり、喜如嘉国民学校はほとんどの授業を取りやめた。
3日には男子教員が全員応召され、学校は閉鎖された。
23日に予定されていた卒業式が開かれることは、ついになかった。
 
確かにアメリカ軍が沖縄に上陸し、本土決戦が行われたが、嘘まで捏造し沖縄県民を卑下する事は無かろう。
東京大空襲、全国各地の都市への空襲、大分も例外では無い。
広島、長崎の原爆、日本全土が悲惨な状況に陥り、沖縄県だけが特別では無く、日本人は皆、苦労を強いられた。
沖縄左翼メディアは、歴史を捏造し、沖縄県の人々を惑わせる事無く、史実だけを忠実に報道し、今より真面な日本を作ろうではないか。
2014・6・17 ユーチューブ   上段 太平洋戦争 壱 カラーと見比べて欲しい! 
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大東亜戦争を戦った国の指導者、命令に散った多くの人々と今の嘘だらけの日本人、どちらを信じますか?
戦争の裏側・残された負傷兵
2015・8・13 産経ニュース (1/6ページ) 【戦後70年~昭和20年夏(7)】 注目 
樺太に残された日本人女性 ソ連兵の恐怖に震え…過酷な日々、帰国信じ半世紀
「記事内容抜粋」
  「戦前の樺太は活気にあふれててね。自然も豊かで人情もあって。本当にいいところだった…」
南樺太で生まれ育った近藤孝子(84)=東京都三鷹市在住=はこう言って目を細めた。
明治38年、日露戦争後のポーツマス条約で北緯50度以南の南樺太は日本領となった。
多数の日本人が入植し、林業や漁業、製紙業などで栄え、昭和16年12月の国勢調査では40万6557人が暮らしていた。
米国と戦争が始まっても平穏だった。
学校では日本人、ロシア人、朝鮮人が一緒に学んだ。
近藤は南樺太でずっと幸せに暮らしていけると信じて疑わなかった。
ところが、昭和20年8月9日、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州に一斉侵攻したことで近藤らの人生は大きく変わった。
樺太への侵攻は11日に始まり、ソ連国境近くの古屯(ことん)付近で日本軍と戦闘になった。
北部の住民が南部に避難してきたが、近藤らが暮らす落合町など南部は空襲もなく、今ひとつ戦争の実感はなかった。
中略
サハリンに名を変えた南樺太は無法地帯となった。
ソ連兵は傍若無人だった。短機関銃を構えて民家に押し入っては時計や万年筆、鏡など貴重品を手当たり次第に略奪したが、黙って見ているしかなかった。
強姦(ごうかん)も日常茶飯事だった。近藤ら若い女性は髪を短く切り、作業服姿で男のふりをして日中を過ごし、押し入れか屋根裏で就寝した。
ソ連兵が家に押し入ると押し入れで息を潜めた。
中略
ソ連軍の上陸は四島の島民を恐怖のどん底に突き落とした。
若い女性は変装して納屋に隠れたが、逃げ場を失い、幼子を抱えて海に身を投げた母親もいた。
ソ連は21年2月に四島を自国領に編入。
島民を強制退去させる決定をした。
島民は小型船で沖合に出た後、荷物用モッコ網に入れられてクレーンでつるしあげられ、大型貨物船の船倉に降ろされた。
完全にモノ扱いだった。
     × × × 
今年3月末の元島民は6774人、70年前の4割以下に減った。
四島の入植ロシア人は計1万7千人超で終戦時の日本人数に迫る。
元島民の平均年齢は79・8歳。残された時間はあまりない。
 
この状況を考えれば、吉田清治の言う朝鮮人強制連行などあろうはずが無い。
日本の周辺国は泥棒と人殺、強姦魔、嘘つきばかりである。
2013・9・18 ユーチューブ 
残された傷病兵達は仲間を脱出させるため最後まで頑強に抵抗した─日本の南洋戦略9
「コメント」
南太平洋で始まった新たなる〈戦争〉の行方  丸谷元人著 ハート出版
占守島の戦い(しゅむしゅ) 悲劇
1945・8・18~8・21(昭和20年) 大東亜戦争終戦後(若しくは終戦準備・戦争停止期間中)、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍とだ日本帝国軍との間の戦闘である。
ポツダム宣言受諾により大東亜戦争が停戦した後、8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄(1945・8・9)したソ連軍が占守島に奇襲攻撃を仕掛けて来た。
ポツダム宣言受諾に従い武装解除中であった大日本帝国軍守備隊と戦闘になった。
戦闘は大日本帝国軍優勢にするものの軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立し、23日に大日本帝国軍は武装解除された。
捕虜となった帝国軍兵士はその後、、大勢が法的根拠なく拉致され、シベリアへ抑留された。
大日本帝国軍の戦闘のお蔭で、女子挺身隊400人が無事帰国した。
 
※日本人の悲劇、卑怯なりソ連、ソ連の国際法違反である。
この裏にはソ連とアメリカの密約若しくはスパイの暗躍があった可能性がある。
ロシアはソ連時代から地図上では、南樺太、千島列島、北方四島は自国領になっていないのである。
最近は確認をしていない。
不法行為、日本人シベリア抑留、日本政府はロシアに謝罪を要求すべきである。
2015・9・2 ユーチューブ チャンネル桜  必見 重要動画 
【早い話が...】抗日パレードに参列するロシアへの情報戦を![桜H27/9/2]
「コメント」
中共の主催する「抗日戦勝70周年軍事パレード」に出席するプーチン大統領に対し、1­945年8月15日以降の時系列を示しながら、ソ連軍の軍事行動と、北方領土占拠の不­当性を明らかにしておきます。
 
ソ連の卑怯な一般市民への爆撃が解説されている。(戦争犯罪)
ロシア大使館への抗議活動を妨害するるのは、反日公明党・太田国土交通大臣の指示であろう。
人種差別をしなかった大日本帝国・隠された戦歴
2015・10・2 ユーチューブ HiramekiTV   最重要動画 
戦後70周年 奇跡の将軍・樋口季一郎
「コメント」
氷点下20度の極寒の地、ナチスの迫害から逃れてきた多くのユダヤ人難民は満州とソビエトの国境オトポールで立ち往生していました。
満州国外交部はドイツの目を気にして入国を拒否するなか、
当時、ハルビン特務機関長であった、樋口季一郎少将は、二万人ともいわれる凍死寸前のユダヤ人難民の命を救ったのです。
「日本はナチス・ドイツの属国ではありません。ヒトラーのお先棒を担いで弱い者いじめすることが、正しいことですか」
当時、関東軍の東条英機参謀長に、樋口季一郎少将は正論をぶつけました。
リトアニア領事館で杉原千畝が「命のビザ」を発給する2年前のことでした。
樋口季一郎は、また、米(あめりか)艦隊に包囲され、玉砕必至のキスカ島守備隊5200人の無血脱出を成功させ、さらに終戦後に北方に侵攻するソ連軍への「断乎反撃」を命じ、ソ連の北海道占領の野望を砕いて、占守(しゅむしゅ)島での日本軍最後の勝利をもたらしています。
これら三つの「奇跡」をもたらしたのは、常に人道に立脚した樋口の決断でした。
現在の日本がおかれている安全保障における危機的状況を打開するためにも人として正しい道を貫いた樋口季一郎の「志」を学ぶことはとても大切なことだと思います。
樋口季一郎元陸軍中将のお孫さんで、明治学院大学の樋口隆一名誉教授に24歳まで同居­­していた祖父から学んだことや秘話、思い出を語っていただきながら、決断の人、樋口季一郎元陸軍中将の歴史的偉業に迫っていきます。
 
大日本帝国の隠された戦い。
初耳だが
オトポール事件がある。
満洲北方のロシア侵攻、樺太戦、占守島の戦い
が詳しく語られているが、全て勝利の戦いである。
日本は8月15日以後に攻め込んで来たソ連に対峙し勝利を納めていたが、大本営から抵抗するなと指令があり、ソ連への攻撃を止め、全面降伏した。
これもコミンテルンの仕業なのだろう。
ロシア参戦時系列  (日本人が卑怯なロシア人『ソ連人』を信じられない根拠である
1945・8・9 ソ連は日ソ不可侵条約を一方的に破棄、日本へ向け侵攻を開始
1945・8・11 ソ連・南樺太占領
1945・8・18~1945・8・21 占守島の戦い(戦争犯罪)
大日本帝国軍は優勢に戦っていたが、軍命により降伏、捕虜となり、シベリア抑留
1945・8・29
ソ連軍・豊原爆撃(戦争犯罪)
無抵抗な日本人市民への爆撃 100人以上の市民が死亡した
ソ連軍北方四島に侵攻
1945・8・29 ソ連軍択捉島占領
1945・9・2 大日本帝国降伏文書に調印
1945・9・4 ソ連軍・国後、色丹占領
1945・9・5 ソ連軍・歯舞
中華人民共和国は何故、支那と言う呼称を嫌うのか?
左翼の日教組の教育現場やマスコミが、GHQや中華民国・中華人民共和国(建国前)が 「支那」 にシナを侮辱するニュアンスを含むと政治的圧力を受、「支那」 の使用を避けただけである。
尚、 「支那」 の呼称に差別的意味は無いとする研究もある。
「シナ」 「支那」 はシナ大陸の地域を指すのだが、中国と呼称を変えた結果、日本に弊害が出ている。
シナ大陸に中華人民共和国が建国されているが、シナ大陸にもともと存在した国は中華民国であり、清国・清王朝である。
これらの国と中華人民共和国は全く異なる国であるにも拘らず、中華人民共和国は、過去シナ大陸に存在した国々の後継国と主張したいのである。
今どうだろう。
中華人民共和国は、「戦勝70数年」 と謳い記念グンジパレードを行ったり、南京大虐殺の嘘をでっち上げたり、戦後賠償を日本企業に求め集ったりしている。
これらは全て大日本帝国と中華民国の間に起きた戦争、事変である。
本来、中華人民共和国とは全く関わりの無い事案である。
私がシナと呼称するのはそれなりに理由がある。
中華民国と中華人民共和国、台湾を区別したいが故である。
厳密に言えば、日本は台湾の施政権を放棄したが、中華民国の植民地と認めており、領土としての台湾を放棄した訳では無いからである。
大東亜戦争の教訓
 1)アメリカ人、シナ人、韓国人は国であろうが人であろうが嘘を作戦に用いて敵を撃つ事を平気でやる民族である。
 2)日本は、福沢諭吉が言い残した 「朝鮮半島、シナ大陸に決して関わってはならない」
 3)日本は 「決して負け戦をしてはならない」
大東亜戦争で大日本帝国を守ろうと一命を賭し戦ってくれた靖国神社に眠る英霊達が残してくれた貴重な教訓を日本人は肝に銘じ心に留め置き後世に語り継がなければならない。
総括が必要な大東亜戦争
2014・8・18 ユーチューブ チャンネル桜 必見 
1/3【討論!】大東亜戦争とは何だったのか?[桜H26/8/16]
2/3【討論!】大東亜戦争とは何だったのか?[桜H26/8/16]
3/3【討論!】大東亜戦争とは何だったのか?[桜H26/8/16]
パネリスト
小川榮太郎(文芸評論家)  桶谷秀昭(文芸評論家)  小堀桂一郎(東京大学名誉教授)
佐藤守(元空将・軍事評論家)  高山正之(ジャーナリスト)  寺脇研(映画評論家・京都造形芸術大学教授)
ペマ・ギャルポ(桐蔭横浜大学大学院教授・チベット文化研究所名誉所長)  司会:水島総
 
日本人は大東亜戦争は何だったのか? 是非ご覧頂きたい。
これぞ大東亜戦争の総括・日本人の誇りの源 (親日国参照)
2013・3・12 ユーチューブ  重要 
他国が日本を愛する理由(2012年11月8日)
「コメント」
世界の大部分の国々で、日本に対する評価をPositive(良い影響)と回答している割合が高いのに対し、中国と韓国のみ日本に対する評価をNegative(悪い影響)と回答した割合が高くなっています。
投稿
俺は中国と日本のハーフとしてここに私の意見を述べたい。
当時、最強と思っていた中国がイギリスに敗れた。
それは何を意味しているのか? 中国や韓国にはわからぬであろう。
彼らは日本が侵略して来たとしか教えられてません。
日本は何故台湾や満州(黒龍江)を開拓して来たのか? 
確かに日本は悪い事はした。
けど同時に日本人は国も救った。
俺は日本の罪と同時に善も見ている。
しかし中国人と韓国の大勢にはこう言った思想は無かった。
俺は日本は素晴らしい国だと思っている。
ろくに国民も腹いっぱい食わせてやれない国が日本を言う資格などない。
俺は中国人の愛国心と日本人の誇りを同時に持っている。
それゆえに中国を信じ、差別されても殴られても耐えて凌いだ。
けど分かったのは俺は永遠に報われないことだけだ。
中国には絶望した。
けど日本人は俺にこう言った奴がいた。
「中国人だからどうした」と聞いた時に嬉しかった。
近所の 人達も優しくしてくれて、心が暖かい。
中国がくれなかった物を日本は全部くれた。
例え中国が日本に攻めて来ても俺は日本を守る。
俺は俺の居場所を守り通す(長文ですみません。
(日本語がまた未熟なので間違いもありますがよろしくお願いします)
 
反日日本人よ、シナ人と日本人のハーフである日本人に恥ずかしくないか? 反日日本人よ、何か言ってみろ!
アジア・アフリカ会議(バンドン会議) (ウィキペディア参照)
日本は高碕達之助経済審議庁長官を代表として十数名が参加したが、他国はいずれも元首、首相級が出席し、政府レベルの国際会議となった。
出席者のなかには周恩来、インドのネール、エジプトのナセル等の顔もあった。
加瀬俊一外務相参与(後に国連大使となる)は、外務大臣代理で出席したのだが、その時の模様を 「この会議の主催者から、出席の案内が来た。日本政府は参加を躊躇していた。アメリカへの気兼ねもあったが、何分現地には反日感情が強いに違いない、と覆っていた。私は強く出席を勧めて遂に参加が実現した。出てみるとアフリカからもアジアの各国も『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。それにあの時出した『大東亜共同宣言』がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた。『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。やっぱり出席してよかった。日本が国連に加盟できたのもアジア、アフリカ諸国の熱烈な応援があったからだ」と語っている。
 
アジア・アフリカ諸国の思いは、今、靖国神社に眠る多くの英霊達が後世に残してくれた日本国民の宝物である。
日本はアジア・アフリカ諸国のエールを誇りとしてアメリカ、シナ、韓国との歴史戦に臨むべきである。
日本人よ、世界に正義を示せ!
2012・3・20 ユーチューブ 
世界は日本をどう見ているか オリジナルバージョン
「コメント」
先の大戦で、私たちが<本当に失ったもの>を取り戻そう!  拡散&コピー大歓迎
 
もし大日本帝国が大東亜戦争を戦っていなければ、今尚アジア全域が白人国家の植民地となり、アジア人は醜い生活を送っている事だろう。